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チェチーリアとクレモナ

Cecilia Gallerani, 1473-1536


レオナルド・ダ・ヴィンチによる"白貂を抱く貴婦人(しろてんをだくきふじん)"
(Portrait of Cecilia Gallerani)(Lady with an Ermine) 1489-90, Czartoryski Museum, Cracow

チェチーリア・ガッレラーニは、貴族の出身ではありません。

庶民。法律家の家系です。

1489年、金銭が絡む家庭問題で、兄弟とチェチーリアが陳情書をミラノ宮廷に提出したことからすべてがはじまりました。

チェチーリアはルドヴィーゴ(ミラノの君主)の目にとまり、ふたりの関係がはじまります。

チェチーリア16歳です。

ルドヴィーゴの庇護のもと、また、ミラノ宮廷で、レオナルド・ダ・ヴィンチはじめ第一級の文化人たちとの交流を通して、チェチーリアはより魅力的なルネサンス人になっていきました。


1491年1月、ロドヴィーゴとベアトリーチェ・デステ(イザベッラの妹)が結婚しても、宮廷におけるふたりの関係は変わりませんでした。

しかし、1491年5月、庶子チェーザレが生まれ、そのことが奥さんに発覚すると、さすがのロドヴィーゴも、チェチーリアを宮廷にとどめておくことを諦めたようです。

ロドヴィーゴは、友人でクレモナ県サン・ジョヴァンニ・イン・クローチェ公爵カルミナーティ公に、チェチーリアを託しました。

1492年、ふたりは結婚。

いっぽうで、ルドヴィーゴは、ミラノ中心部の別宅(Palazzo Carmagnola)をチェチーリアに与え、クレモナとミラノを自由に行き来できるようにしています。

かつてはレオナルド・ダ・ヴィンチもおとずれ、夫亡きあとチェチーリアが晩年を過ごしたサン・ジョヴァンニ・イン・クローチェの邸宅は、第二次大戦後、あるじを失い忘れさられていました。

2005年、町が購入し、修復をはじめ、積極的な取り組みをしているようです。

* Villa Medici del Vascello in San Giovanni in Croce, Cremona


ところで、チェチーリアの肖像は、なぜポーランドのクラコワにあるのでしょう?

18世紀、ポーランドの公爵が気に入ってイタリアで買いました。ハハ

徳川が買っていたら、いまごろは上野でしょうか?


(2016.04.16)


かんれんファイル

バイオリンの町クレモナ

かんれんサイト

Villa Medici: 500 anni di storia tra dame, amore, cultura e arte (YouTube in italiano)

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