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ドナート・ダンジェロ・ブラマンテ

Donato D'Angelo Bramante
1444, Fermignano(Pesaro)- 1514, Roma

建築家として知られるブラマンテはそもそも画家だった。ミラノのブレーラ美術館、カステッロ・スフォルツェスコにブラマンテ作フレスコ画がある。

Pinacoteca di Brera (1490年?)

出身はペーザロ近郊で、すぐそばのウルビーノ宮殿で芸術家としての資質を培ったとされる。ブラマンテはそののち北イタリアロンバルディア地方に活動の拠点を移し、1477(−80)年ごろミラノ、スフォルツァ家で仕事をし始める。ちなみに、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)がスフォルツァ家に来たのは1482年で、ブラマンテとレオナルド・ダ・ヴィンチは「同僚」ということになる。もっとも、ミラノで働き始めるまでのブラマンテの足どりはそれほど正確ではなく、そこここにでてくるブラマンテの名前など状況証拠からのおおよその推測だ。

ぼくがブラマンテに興味を抱いたのは、ブラマンテが活動した場所のひとつがミラノだったことにある。

町じゅう美術館さながらのローマやフィレンツェとちがって、ミラノは近代的な建物が大勢なので、そこに古い建築物があると目につく。たとえばドゥオーモそばのサン・サティロ教会などがいい例で、いつも車の中から見ていたあの建物はブラマンテが作ったのか〜、ってなもん。ドゥオーモじたいの屋根づくりにもブラマンテは決定的な助言をしたと言われているし、レオナルドの「最期の晩餐」があるサンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ教会も、一部ブラマンテによる。

サン・サティロ教会内部 Photo Courtesy of: Web Gallery of Art

建築家として画家として、ブラマンテがロンバルディア地方の芸術に与えた影響は大きいが、すくなくともその絵画作品から、メロッツォ・ダ・フォルリ(1438 - 1494)、ピエロ・デッラ・フランチェスカ(1416 - 92)等がいたウルビーノゆずりの遠近法を駆使した現実表現と、アドリア海人特有のの艶っぽい色彩を見逃すことはできない。

1499年、スフォルツァ家当主モロがフランスに破れると、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ブラマンテは、ともににミラノを去った。レオナルドはフィレンツェ、ブラマンテはローマへと活躍の場を移す。ブラマンテは、ローマで教皇ユリウス2世に重宝され、サン・ピエトロ寺院をはじめとするヴァティカン建築にもたずさわった。ちなみに、ブラマンティーノ(1465-1530)はブラマンテの弟子。

ブラマンテ建築 (University of Miami)
http://intranet.arc.miami.edu/rjohn/ARC..

BRAMANTE IN LOMBARDIA (Italiano)
http://www.anisa.it/bollettino/bollettino-14/indice14.htm

(2004.10.24. 「ミラノ・ルネサンスとブラマンテ」より分割)(2007.09.26. 加筆)

かんれんファイル

■ ミラノ・ドゥオーモとブラマンテ
■ ブラマンティーノ

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