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「プリマヴェーラ」とネオプラトニズモ

Sandro Botticelli, 1445-1510 (Firenze)
Lorenzo de' Medici, Il Magnifico, 1449(Firenze)-1492(Careggi)

「ラ・プリマヴェーラ(=春)」は、ルネサンスの象徴ともいえる作品ですが、だれが、いつ、なんのために、この作品を依頼したのか、はっきりとわかっていません。

唯一わかっているのは、この作品が、ロレンツォのいとこピエールフランチェスコ(老コジモの弟ロレンツォの孫)のものだった、ということです。

Lorenzo di Pierfrancesco de' Medici (Lorenzo il Popolano) 1463-1503

ピエールフランチェスコが依頼したのだというひともいれば、ロレンツォがピエールフランチェスコの結婚式に贈った、など、いろいろな説があります。

"La Primavera「プリマヴェーラ」, 1481年頃(修復1982年)/203x314cm/テンペラ・木板"


この絵には、当時の文化人の理想、教訓、祝福が、ギリシャ神話にもとずいて表現されています。

でも、以前、絵画はおもに宗教をテーマとしていたのに、なぜギリシャ神話なのでしょう?

当時、フィレンツェにはプラトン研究所があって、ギリシャ文明がさかんに研究されていました。

なぜフィレンツェでギリシャ研究なの?

そもそもは、ロレンツォの祖父コジモが東西教会を合併するためにフィレンツェで宗教会議(1453年)を開いたことがきっかけでした。

そのとき、ビザンツ帝国からギリシャ人の学者が多数フィレンツェにやってきました。

そんなこんなでコジモがプラトン研究所を創設したのが、1459年です。(そのころ、ビザンツ帝国(-1453年)そのものはすでになくなっていました。)

ティツィアーノは「ぼくはああいう異端はやらない。」などとヴェネチアでうそぶいていましたから、ボッティチェリの世界は、まさにフィレンツェ・ルネサンスたるところです。

明るいよね、ギリシャ文明。

宗教どっぷりだったヨーロッパ人知識人にとって、その合理的な見方は、驚きだったとともに、悦びでもあったにちがいないです。


ところで、ピエールフランチェスコは「プリマヴェーラ」が気に入り、さらに「ヴィーナス↓」をボッティチェリに依頼します。

"La Venere「ヴィーナスの誕生」, 1485年ごろ(修復1987年), テンペラ・キャンバス, 172.5x278.5cm"
Photo courtesy of Weilai


「ヴィーナス」は、ボッティチェリのほかの2作品とともに、フィレンツェからほど遠からぬピエールフランチェスコの別荘に1500年代中頃まで人知れず眠っていました!

1815年、この作品がウフィッツィ美術館に収蔵され、ボッティチェリが再評価がされるきっかけとなりました。

ちょうどラファエル前派の時代です。


ボッティチェリかんれんファイル

ポルディ・ペッツォーリ美術館のボッテイチェッリ
晩年のボッティチェリとサヴォナローラ
ロレンツォ・イル・マニフィコとボッティチェリ
「プリマヴェーラ」とネオプラトニズモ
ボッティチェリとダ・ヴィンチのちがい
くらべてみるリッピとボッテイチェッリ
メディチのひとびと


かんれんサイト

丸紅アートギャラリーの「美しきシモネッタ」
http://www.marubeni.co.jp/gallery/index.html
サンドロ・ボッティチェリ作品
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/b/botticel/


(2003.08.08. 点検)(2005.02.19. 画像入れ替え)(2016.04.06 見回り)

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