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晩年のボッティチェリとサヴォナローラ

Sandro Botticelli, 1445-1510 (Firenze)
Girolamo Savonarola, 1452(Ferrara)-1498(Firenze)


「聖ゼノビウス」シリ−ズは、ボッティチェリ最後の作品とされ、ロンドン(ナショナル・ギャラリー)、ニューヨーク(メトロポリタン)、ドレスデン(国立絵画館)にあります。

すこぶる評判がわるい作品です。

「聖ゼノビウスの洗礼(1500-1505ごろ)」Sandro Botticelli (1444/45-1510), National Gallery, London

でも・・・ボッティチェリはボッティチェリだ。

そりゃ、サヴォナローラが出てきて、ルネサンスの繁栄を「神の意志に反する退廃」みたいに全面否定して、「おまえら地獄行きだ〜」みたいな恐怖政治をやりまくれば、だれだってそれまでとおなじような絵は描けなくなるよ。

でもそれは、けっしてボッティチェリの腕が劣ったとか、頭がおかしくなったとか、画風が変わったとか、いうんじゃない。

多少なりともサヴォナローラに感化されていたボッティチェリは、彼なりにサヴォナローラの世界観に沿うような作品を描こうと工夫したんだとおもう。

作品が多少なりともおもしろくないとすれば、それはたぶん、ギリシャ文明由来の人間謳歌的な側面が消え、その分より宗教教義的なものとなり、テーマも、色彩もかわったんだとおもう。もちろん、画家のモラルがどうだったかというのもある。


それと、誤解をおそれずに言うなら、あれもダメこれもダメの世界で、技術に頼って描いているようなところがなくもない。

というのは、ふと、「ジョット?」「ピエーロ・デッラ・フランチェスカ?」あるいは「ソ連時代のモニュメント絵画?」みたいなところがあるのだ。

画家が感じていた制約を、見るほうも感じてしまう。それがおもしろくないといえばその通りだ。


サヴォナローラが歴史の表舞台に登場し、ついにはフィレンツェでその牙をあらわにしたとき、ボッティチェリは50歳。

ルネサンスの寵児の晩年は時代に翻弄される。

仕事の依頼は減り、やがてなくなり、美術家協会に納める会費さえ払えず、金を無心しては飲んだ。


ところで、ボッティチェリはローマでも仕事をしています。

36才のとき(1481-83)、ローマ・システィーナ礼拝堂で。

でも、父親の死去とかで、仕事半ばにフィレンツェに帰ってしまったり、あまりぱっとした仕事をしていません。

仲間とうまが合わなかったのでしょうか?それともローマが合わなかった?

ボッティチェリがトスカーナ地方から出たのも、そのときがさいごでした。

勘ぐるに、ボッティチェリは「フィレンツェあってのボッティチェリ」だったのではないでしょうか?

「フィレンツェあってのボッティチェリ」、もっと突き詰めて言うと、「ロレンツォをはじめとするメディチの家風あってのボッティチェリ」だったのかもしれないとおもうのです。

だから、サヴォナローラみたいのがでてくると、合わせようとおもっても会うわけがない。

ほんとうは、その時点でボッティチェリの芸術はおわっていたのかもしれません。

(2002.08.08. 見直し)(2004.11.12. 見回り)(2005.02.21. 加筆)(2016.04.04 見回り)


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