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モディリアーニと1910年代のパリ

アメデオ・モディリアーニ
Amedeo Modigliani 1884-1920

モディリアーニは、イタリア・トスカーナ地方の港町リヴォルノに生まれた。父親はイタリア人、母親はフランス人だ。

モディリアーニがまず学んだのはフィレンツェだった。フィレンツェは、ファットーリなど「マッキア派」(印象派に近い画風)の伝統が色濃いところだ。

そののちヴェネツィアで学び、1905年、パリへ。モディリアーニ、21才。

Amedeo Modigliani

最期の時期のモディリアーニをつたえる自画像 / 1919 Museo de Arte Contemporanea de Universidade San Paolo(ブラジル)

「パリ時代のモディリアーニ」は、一般的に、1909年ごろから36歳で没っするまでの11年間とされる。

まさにエコール・ド・パリの隆盛期であり、モディリアーニはその中心人物のひとりだった。ハハ、いまから思えば、である。

1910年代のパリには、有象無象のアーティストたちがうじゃうじゃといた。話はせずともおたがいの息吹きを感じ、あるいはささやかに支えあい、アーティストがアーティスとして生きていた町だった。

1915年ぐらいから、モディリアーニは画商に尻を叩かれ300点にのぼる作品をダダッーと描きあげている。ほとんどが肖像画だ。単純計算すると一年間に平均60点ほどになる。

年60点というのは、とくにおどろくような数字ではないが、それは、健康な状態で、優等生的に仕事をしていたとしてだ。

モディリアーニは酒、麻薬びたりだったといわれている。そういう状態での60点は何を意味するのだろう・・・?

描きあげるはしから飲んだくれてたのだろう。飲むために描いていたのか・・。せめて絵を描いているときは至福だった、とおもいたい。

モディリアーニのファイル

□ モディがいたのは1910年代のパリ
■ モディリアーニの彫刻発見!

かんれんファイル

■ モディリアーニのパリのおともだちスーティン
■ モディリアーニの先生ファットーリ
■ リヴォルノのかんたんマップ

(2001.10.09. 加筆)

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