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デア・ブラウエ・ライター(青騎士)

〜 その歴史的事実関係の確認

1900年代初頭、のちにドイツ表現主義と称されるいくつかのグループがドイツで誕生していました。


ドレスデンには、キルヒナーを中心とする『ブリュッケ(1905年):橋』というグループがありました。

Ernst Ludvig Kirchner 1880-1938


ミュンヘンには、カンディンスキーらを中心とする『ミュンヘン新芸術家協会(1909年)』というグループがありました。

このグループには、カンディンスキー、フランツ・マルク、ガブリエーレ・ミュンター(カンディンスキーの弟子)、ヤウレンスキー、ベフテジェフらがいました。

Wladimir von Bechtejeff 1878-1971

ミュンヘン新芸術家協会はそののち内部分裂し、1911年、カンディンスキー、フランツ・マルク、ガブリエーレ・ミュンター、アウグスト・マッケらは、『ブラウエ・ライター=青い騎士(正式には『Der Blaue Reiter=デア・ブラウエ・ライター』)』を創設しました。

August Macke 1887-1914


Der Blaue Reiter

カンディンスキーの『青い騎士(1903年/チューリッヒ・個人蔵)』部分

『青い騎士』という名称の由来は?「カンディンスキー回想」から・・・

「いやべつになんていうことはないのです。わたしもマルクも『青色』が好きで、それにマルクはよく馬を描いていました。わたしは乗馬をたしなみます。・・・それでなんとなく、『青色の騎士』というのが、共通のイメージとしてあったのです。」

なんだ。


『ブラウエ・ライター』は、その影響力の大きさにくらべてひじょうに短命に終わったグループでした。1911-12年にかけて2回の展示会、機関紙を1回発行しただけです。

1回目の展示会には、アーノルド・シェーンベルク(作曲家)、アンリ・ルソー(Henri Rousseau 1844-1910)、ロベール・ドローネ(Robert Delaunay 1885-1941)らが参加しました。

ロベール・ドローネの妻ソニア・ドローネ(Sonia Delaunay 1885-1979)はロシア帝政末期のウクライナ生まれ。ドイツで絵画を学び、パリでロベール・ドローネと知り合い結婚。東京都庭園美術館でソニア・ドローネ展(2002.07-09)が催されていました。

2回目の展示会には、『ブリュッケ』のメンバーも含め、アルプ(Hans Arp 1887-1966)、クレー(Paul Klee 1879-1940)、ブラック(Georges Braque 1882-1963)、ピカソ、ドラン(Andre Derain 1880-1954)、マレーヴィッチなど。


ところで、カンディンスキーが仲間内でどういう存在だったかをつたえる興味深い一節があります。

もちろん彼の年齢と学識は、ミュンヘンの若い芸術家たちの信望を集めるのに十分であったし、彼の人柄のなかに、1901年早くも画家集団および画学校ファーランクスを組織し、ついで1909年新芸術家協会を結集するような包容力と指導性があったのは事実である。

「カンディンスキーの芸術は、彼の言葉と同様に預言的である。− われわれのサークルで真に預言的な唯一の芸術。カンディンスキーは若い運動の真の中心だ。− 彼の声を聞かずにいようなんてどうしてできるだろうか。(マッケ宛てのマルクの手紙)」

「ぼくは個人的な接触を通じて、彼(カンディンスキー)にある深い信頼を寄せている。たしかに彼は何者かであり、すばらしく明晰な頭脳の持主である。(クレーの日記)」

(『カンディンスキーと表現主義(中央公論社)』より引用)

(2002.10.11)(2004.11.11. 画像追加)

かんれんファイル

■ カンディンスキー
■ フランツ・マルク
■ マルケとマルクとマッケ
■ ヤウレンスキー:1900年代初頭ロシア系アーティスト
■ クレー展示会(2000.10 Torino)評:バウハウス
■ マレーヴィッチ展

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