EKAKINOKI

1282年のシチリア市民蜂起

LA GUERRA DEL VESPRO SICILIANO

シチリアの住民は横暴なフランス軍にもうとっくにきれてた。キリストの受難をしのんで断食をする四旬節があけた1282年3月末日、復活祭の晩祷(夕べの祈り)・・・・・きっかけなんてどうでもよかったんだろう。恋人に手をつけられた若者の憤慨でも、肩がぶつかっただけでも、、恨みつらみはすでに山ほど積み重なってたはず。準備された蜂起だったのかもしれない。

ささいな諍いをきっかけに怒りに火がついた。フランス兵はかたっぱしから殺され、蜂起はパレルモからシチリア全土にひろがり、けっきょく、フランスとスペインを巻き込む何年間もの戦争にまで発展する。これが「シチリア晩祷(夕べの祈り)戦争(1282-1302)」で、さいごは王国(シチリアとナポリがひとつの国だった)を、スペインがシチリア、フランスがナポリと、二分することでおさまった。

ハイエ作「シチリアの晩祷 (1846)」 ( Galleria Nazionale d'Arte Moderna e Contemporanea, Roma)

ルネサンスなんかよりずっと以前の出来事なんだけど、、なんでこの「シチリア晩祷蜂起」のことを覚えているかというと、、シチリアの住民はこのとき、出会いがしらに「チェーチ(ceci=ヒヨコマメ)って言ってみろ!」とやったんだね。フランス人は「チェーチ」とは発音できなくて「セースィ」となってしまうから、それで「やっちまえ」になったみたい。

シチリアの歴史は「侵略された史」。順にあげてみると、、フェニキア、ギリシャ、カルタゴ、ローマ、ヴァンダル族、ゴート族、東ローマ、サラセン、そしてヴァイキングのノルマン王国。

しかしこのノルマン王家ルッジェーロの時代(1062-1194)、そしてルッジェーロ家の男系が途切れて縁続きの神聖ローマ皇帝家が統治した時代、しめて200年ぐらいのあいだは、シチリアの黄金時代だった。(シチリアに行ったらかれらの王宮を見ようゼ!)

とくに神聖ローマ帝国フリードリヒ2世(フェデリーコ2世)は、イタリア統一まで視野にいれた国家づくりをしたが、教皇庁ににらまれ破門され、けっきょくその子の代のとき(1266年)、シチリアはフランスにくだる。

ところがフランス兵の横暴に「ふざけんな」とこの「シチリア晩祷戦争」が起き、この戦争で支配権を得たスペインは、それからガリヴァルディが登場する1860年までのほとんど、シチリアをいびりつづけた。

ヴェルディ作曲のオペラ「シチリアの晩祷(邦題は「シチリア島の夕べの祈り」)」

おもうんだけど・・・・シチリア・マフィアもたぶんこうした歴史の産物なんじゃないかな。つまりだれが支配者だろうと、どんなにいびられようと、暴君に対してだんまりを決め込む仲間うちの結束があれば、やりすごせることも多かったかもしれない。じぶんたちの生活を邪魔されないための、しかもなんとか生きていくための生活の知恵、、あるいは合理的システムだったとも言える。そのかわり密告はぜったいに許されないね。いまとなっては断ち切らなきゃならない伝統だけど。

(2005.04.19.)

かんれんサイト

パレルモにおけるヴァイキングの足跡
http://www.valsesiascuole.it/crosior/1medioevo/normann..
http://www.comune.palermo.it/Foto_Palermo/Pala..

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