EKAKINOKI

ウルビーノの地政学


2本の鋭い尖塔がそびえ立つ中世まるだしのウルビーノ城。

しかし、ウルビーノは、地理的に、かなり不便なところにあります。

わざと不便なところに城をつくったのではありません。

昔は便利なところだったのです。ハハ

いまは、行くなら、車かバスか。

アドリア海に面した町ペーザロからは、35KM、フィレンツェからだと、184KM。

もしかすると、アレッツォあたりからバスがでているかもしれない。

中世のイタリア半島縦断路は、いまのように直線的ではありませんでした。


この経路だと、ウルビーノは要衝の地でした。


また、ウルビーノは、マルケ地方(リミニ)とエミリア地方(ボローニャ)の政治的緩衝地帯で、つねに教皇の利害と裏合わせでした。

こんなところに、忠実な傭兵隊長がいてくれると、教皇にとっては大助かりです。

1494年のイタリアです↓。「St」と書かれたミズ色の部分が教皇領です。

1494 italy

これらの政治的要因が、ウルビーノ公国を繁栄させていました。


1482年、ウルビーノの領主モンテフェルトロ公フェデリーコが逝去します。

1494-95年にはフランス・シャルル8世のイタリア遠征があり、フランス軍がウルビーノを通り抜けていきました。

(2001.07.30.)(2002.09.05. 見直し)(2005.01.05. 見回り)

かんれんファイル

ウルビーノ公フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ
中世のイタリア半島縦断路
中世教皇領は火薬庫
戦乱とルネサンス

かんれんサイト

ダ・モンテフェルトロ宮殿(写真が豊富:イタ語)(Move About Italy): 宮殿訪問の際には、厩(うまや)と台所を見のがさないように、とのアドバイス。
http://www.moveaboutitaly.com/marche/urbino..

ART INVESTMENT RUSSIA SOVIET ITALY JAPAN