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ダ・ヴィンチ・コードと魔女の真相

ダン・ブラウン著「ダ・ヴィンチ・コード」のメイン・テーマは「シオン修道会」だ。

そのシオン修道会がよりどころとしているのが「聖杯伝説」であり「聖女崇拝」であり「マグダラのマリア崇拝」であり、ひいては「女性崇拝」みたいなことになるかもしれない。


以下引用・・・

歴史をひもとけば、性交とはそれを通じて男女が神にふれるための営みだったことがわかる。古代には、男性は精神的に未完成であり、聖なる女性との交接によってはじめて完全な存在になると信じられていた。女性との肉体的結合は、男性が精神的に成熟し、ついには霊地(グノーシス)−−神の知恵−−を得るための唯一の手段だった。・・・・・男性は精神の充足を求めて神殿を訪れ、巫女--すまわち聖娼--と交わり、肉体の結合を通じて神にふれようとした。

(引用おわり)


ひぇぇぇぇ〜〜〜。
いつごろから女性は崇高でなくなったの?

ここで、キリスト教の歴史がかかわってくる。

ローマ帝国皇帝コンスタンティヌスはキリスト教を公認した。

しかし、「ダ・ヴィンチ・コード」の表現を借りれば、「ニケーア公会議の接戦投票でイエスを神と定義し」、イエスの絶対性をおのが権力に重ね合わせる。


以下引用・・・

聖書は人の手によるものだということだ。神ではなくてね。雲の上から魔法のごとく落ちてきたわけではない。混沌とした時代の史記として人間が作ったもので、数かぎりない翻訳や増補、改訂を経て、徐々に整えられた。聖書の決定版というものは、歴史上一度も存在していないのだよ。・・・・・新約聖書を編纂するにあたって、80を超える福音書が検討されたのだが、採用されたのは、それに比すればごくわずか--マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの各伝だけだった。・・・・・どの福音書を入れるかはだれが選んだんですか?・・・・・キリスト教の根本的な皮肉はそれだよ。今日の形に聖書をまとめたのは、異教徒のローマ皇帝であったコンスタンティヌス帝だ。

(引用おわり)


以後、この基本ラインに反する人々はことごとく「異端」として弾劾される。

つまり、イエスの人間的な側面にふれた福音書はもとより(*1)、「性は罪深く忌まわしい行為」とされ、当然のなりゆきとして「女性は男の副産物、邪悪で不浄なもの」とされた。


以下引用・・・

混迷する今日の世界でキリスト教が大きな救いとなっていることを否定できる者はいないが、教会の歴史が欺瞞と暴力に満ちているのもたしかだ。異教徒や聖女崇拝者を”再教育”するための容赦なき粛清運動は、3世紀にわたってつづいた。・・・・・精神の啓蒙に欠かせない伴侶としてかつては尊ばれた女性は、地球上のあらゆる聖所から追放された。・・・・・教会によって”魔女”と見なされたなかには、女性の学者、祭司、ジプシー、神秘主義者、自然崇拝者、薬草収集家、さらには”自然界と一体化した疑いのある”あらゆる女性が含まれた。・・・・・女神の時代は終わった。振り子は大きく揺れた。母なる大地は男の世界に様変わりし、破壊と戦いの神々が多くの人命を奪いつづけた。男性は女性に脅かされることなく、二度の千年紀を支配した。こうして現代の生活から聖なる女性が一掃された結果、アメリカ先住民のホピ族が言うコヤニスカッティ − ”平衡が崩れた社会” − がもたらされたとシオン修道会は考えていた。

(引用おわり)


「歴史の作為」は、やがてはわたしたちの伝統となり常識となり、潜在意識までをも支配するようになる。

イエス本人は、いったいどうおもっていたのだろう?!

(2006.01.14)

(*1) 1900年代、「死海文書」や「コプト語文書」が発見されたときの奇怪な騒ぎのワケもここらへんにある。

* 文中引用は、「ダ・ヴィンチ・コード (越前敏弥(えちぜんとしや)訳 / 角川書店)」より

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