EKAKINOKI

ルネサンスのタニマチ

メセナ、パトロン、パトロネイジ、メセナティズモ、タニマチ、贔屓、ファンクラブ・・・

国や時代で言葉はちがっても、だいたいおなじようなことではない?

たのしませてもらうかわりに支えてあげる。


ルネサンス時代に関して言えば、まずは必要性からはじまります。

城を建築する。宮廷の壁をフレスコ画で覆う。パーティーを催せば、衣装、演出、詩を朗読してくれるひと、音楽も必要です。

戦争のために、日々武器戦略も向上させなくてはなりません。

「必要性」というのは、領主の立場からだけではなく、雇われる学者芸術家にとってもです。お金がもらえるという以上に、そこに大きな仕事があったわけです。


現代でこそ、建築家、エンジニア、画家、演出家、詩人、歌手、俳優、芸能人など、いろいろな職業に分かれていますが、当時は、ひとりの人間が複数の分野をカヴァーしていました。

その典型的な例が、レオナルド・ダ・ヴィンチです。「百の職業を兼ねる」という意味で、ダ・ヴィンチは、宮廷のお百姓さんです。ハハ

まあそこまでスーパーマンでなくても、画家+科学者なんてのはざらでした。たとえば、ピエーロ・デッラ・フランチェスカ。


宮廷につかえるそういう職業人たちのなかには、とびぬけてすぐれた才能を発揮するひとたちがいました。そういうひとたちは、領主のプレステージを高めてくれますし、また日々の生活をより豊かにしてくれました。

領主にしてみれば、そういうひとたちは、長いこと手放したくありません。

ルネサンス時代は戦乱に明け暮れていましたから、国が亡びないように、領主は戦争や政治で忙しいのです。

本なんて読んでる時間がなかった領主は、お雇いの学者芸術家と接することで知識欲を満足させていた、というのもあります。

ルネサンス時代、政治文化で繁栄をきわめていた、ウルビーノ公フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの宮廷にはピエーロ・デッラ・フランチェスカがいました。フィレンツェ・メディチ家ロレンツォ・イル・マニフィコの宮廷にはボッティチェリ、ミラノ・スフォルツァ家イル・モーロの宮廷にはブラマンテ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、マントヴァ・ゴンザーガ家にはマンテーニャが、いました。

しかし、、領主が戦争で負けたりすると、レオナルド・ダ・ヴィンチのような天才でも、また職探しの旅に出なくてはなりませんでした。

(2001.08.08.)(2002.08.08. 見直し)(2004.11.12. 見回り)

かんれんファイル

マントヴァ・ゴンザーガ家のイザベッラ・デステ
ウルビーノのモンテフェルトロ公フェデリーコ
戦乱とルネサンス

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