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イザベッラ・デステの肖像をめぐって

イザベッラ・デステ Isabella d'Este 1474-1539
レオナルド・ダ・ヴィンチ Leonardo Da Vinci 1452-1519
ヴェチェッリオ・ティツィアーノ Tiziano Vecellio 1488/90-1576


マントヴァ公側室でコレクターのイザベッラ・デステは、レオナルド・ダ・ヴィンチには頭があがらなかった。

ダ・ヴィンチは、イザベッラの依頼にいつも「ハイハイ」と空返事をしていたそうだ。

ともかく、ダ・ヴィンチは、当時から特別な存在だったようだ。

いわゆる学究の徒で、宮廷のおべっかへつらいにはまったく関心を示さなかったという。


そんなこともあり、イザベッラは、フィレンツェを訪れ、肖像作者を探した。

あいにく、「フィッリピーノもペルジーノも、数年はスケジュールが詰まっています。」とのこと。

「サンドロ・ボッティチェッリではどうですか?」だったが、サヴォナローラ事件以降、生彩を失っていたボッティチェッリにイザベッラは依頼しなかった。


そののち、ダ・ヴィンチは、たぶん、気のすすまぬままイザベッラの肖像を描いている。

長らく消息不明になっていたその作品が、2013年、ようやく特定されたという。↓


いっぽう、ティツィアーノは、イザベッラの肖像画を何点か描いている。

ある時、イザベッラの弟(実家フェッラーラ・デステ家当主アルフォンソ公)が、「カメラ・ピクタ(イザベッラの美術品収集ギャラリー)」とおなじようなものを造りたがった。

これを請け負ったティツィアーノが、ドッソ・ドッシ(Dosso Dossi, 1474 San Giovanni del Dosso - 1542 Ferrara)をともなってイザベッラをたずね、彼女のコレクションを見ている。

ティツィアーノとイザベッラは、終始よい関係をたもっていた。

人の相性というのもあるだろう。

イザベッラとティツィアーノは、案外合っていたのかもしれない。

ティツィアーノによるイザベッラの肖像, 1534-36, Kunsthistorisches Museum, Vienna

1530年春、神聖ローマ帝国カール5世がイザベッラに招待されてコレクションを見たとき、そこにあったティツィアーノの肖像画がとくに気に入り、それがきっかけで、のちにティツィアーノを召しかかえた。


ルーベンのイザベッラ肖像画は、テツィアーノの「赤いドレスのイザベッラ(1529年)」のコピーで、かなり後年(1605年)のものだ。

イザベッラ55歳の肖像だが、テツィアーノのほうが品がある。やっぱコピーはむずかしいね。


(2001.07.27.)(2002.08.18. 見直し)(2016.04.15 見回り)

かんれんファイル

イザベッラ・コレクションの真相

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