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イザベッラ・コレクションの真相

イザベッラ・デステ Isabella d'Este 1474-1539

フェッラーラのお姫様イザベッラ・デステは、15歳のとき、マントヴァ・ゴンザーガ家のフランチェスコ(Francesco II Gonzaga, 1466-1519)に嫁いだ。

のちのイザベッラ・コレクションの創設者だ。

イザベッラの居城は、その勇壮な造りといい、豪華なフレスコ画で飾られた内部といい、いまに中世をしのばせます。

しかし、イザベッラ・コレクションというとき、それはイザベッラ個人が集め、陳列していた特定の場所をさします。

その場所をイザベッラは「カメラ・ピクタ(ちいさなお部屋)」、そしてそののちに増設した部分を「洞くつ」と呼んでいました。

マントヴァ公ゴンザーガ家には、マンテーニャ、そのあとを継いだロレンツォ・コスタ、のちのジュリオ・ロマーノ(ラファエッロの弟子)などのおかかえ画家がいました。

イザベッラ・コレクションには、ほかにも、ラファエッロ、ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ティツィアーノ、ベッリーニ、ペルジーノ、アンドレア・デル・サルト、コレッジョなどの作品もあります。

マンテーニャはイザベッラのお気に入りの画家でした。

"マンテーニャのパルナッソス 部分 (1496-97)", Musee du Louvre

ほかの画家は、マンテーニャが描いた人物の大きさをと釣り合いがとれるように描くように仔細な注文をつけられたり、スケッチまで渡されたり、頭が混乱して、おもうように描けなくなってしまった画家も続出したそうです。

ベッリーニなどは、はじめからていよく断ったといいます。


イザベッラは、絵画、彫刻、骨董、装飾品、おりからの探検ブームもあって世界地図までも集めていました。

ローマ時代の骨董も大好きでした。

マンテーニャがやはり古代遺蹟の貪欲なコレクターで、イザベッラはこの老人の「大切な宝物」をとりあげたりもしています。

ラファエッロはラファエッロで、「古代ローマの再現計画」なんてのをぶちあげて、イザベッラを舞い上がらせました。


ところで、イザベッラはどうしてこれほどまでのコレクションをするようになったのでしょう?

当時、名だたる人文学者が集っていたのが、ミラノ、スフォルツァ家でした。

イザベッラの妹ベアトリーチェ・デステがスフォルツァ家当主ロドヴィーゴ・イル・モーロと結婚したのです。

イル・モーロは、芸術愛好家で、宮廷の衣装、装飾、コレクション、すべて豪華絢爛でした。

デステ家という名門で育ち、マントヴァ公ゴンザーガ家に嫁入りしたイザベッラも、スフォルツァ家の華麗さとの格差に愕然としたそうです。

イル・モーロとイザベッラのあいだには、一時、恋愛感情がありました。

手紙のやりとりがありました。

じつは、最初に求婚されたのも、イザベッラでした。

なるほど〜〜〜!

さて、イザベッラ・コレクションは、100年後、ゴンザーガ家のヴィンチェンツォ2世(Vincenzo II Gonzaga, 1594-1627) )が金繰りに四苦八苦し、イギリス王チャールズ1世に売り渡しました。

案外これでよかったのかもしれません。なぜなら、1797年、ナポレオン侵略の際には、ゴンザーガの墓まであばかれています。

また、19世紀、イギリスのラファエル前派は、マンテーニャやボッティチェッリらに注目しました。

ラファエル前派の画家たちは、イギリスにあったイザベッラ・コレクションのマンテーニャ作品はよくみていたはずです。

現在、ルーブル美術館で、イザベッラ・コレクションのマンテーニャ作品を見ることができます。

(2001.07.27.)(2002.08.18. 見直し)(2016.04.15 見回り)


かんれんファイル

イザベッラ・デステの肖像をめぐって
画家の狂気の健全性
マンテーニャ(訳)
マントヴァのおばけ屋敷テ宮殿(ジュリオ・ロマーノ)
マントヴァ公に仕えていたルーベンスとプルビュス
スフォルツァ家とミラノの命運
たびプラニング:マントヴァ・ヴィチェンツァ

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