EKAKINOKI

ミズ・ルネサンスは一本気

Caterina Sforza 1463-1509


Caterina Sforza

クレーディによるカテリーナと目される肖像 (Pinacoteca Civica di Forli)

美貌、女傑、
ミラノの君主スフォルツァ家ガレアッツォ・マリアの庶子、
教皇庁、フランス軍に抗してフォルリ城に籠城した女将軍、
「黒隊ジョヴァンニ」の母親、
フィレンツェ公国初代大公コジモ1世(1519-74)の祖母、
そののち、カテリーナの血はヨーロッパじゅうの王族にひろがった。

でも、ほんとはどんな女性だったんだろう?!


たんなる神話ではなく、カテリーナはほんとに「いい女」だったみたいだ。本人もまた「いい女」であることを自覚し、その美貌を利用した。

ミラノ・スフォルツァ家の血をひくだけに、気っぷしも強い。

コブシを相手に突き出して「ティヤン!(=これでもくらえ!)」

敵将にスカートめくってアッカンベー。

まるでフランス映画。


さらに、カテリーナは恋さずにはいられない女だった。一途。

じぶんの結婚が、即パワーポリティクスに影響を与えるのはよく分かっていても、すぐ結婚。ムリなら極秘結婚。はたまたデキ婚。


その割りに・・・男に恵まれなかった。

左から、1番目、2番目、3番目。

ハズ I

1番目の夫ジロラモ・リアーリオは、教皇シクストゥス4世の甥っ子。野心家だったが、チェーザレ・ボルジアのようなやり手ではなかった。

結婚に際してカテリーナがスフォルツァ家から持参したフォルリの領主としては失格。領民を味方につけられなかったツケは、いずれチェーザレ・ボルジアに攻められたとき、カテリーナにまわってくる。

1478年のメディチ家暗殺事件・・・表向きはパッツィ家 VS メディチ家の対立となっているが、じっさいはシクストゥス4世 VS メディチ家の対立でもあり、教皇が裏で糸を引いていたといわれている。

その証拠に、暗殺事件に加担したとされるカテリーナの夫ジロラモ・リアーリオは、教皇シクストゥス4世没後の1488年、メディチ家のロレンツォ・イル・マニフィコに、弟ジュリアーノのカタキとして謀殺されている。


ハズII

カテリーナの2番目の夫は、忠実な部下の弟で7才年下のジャコモ・フェオ。モチ、秘密結婚。イタリア遠征してきたシャルル8世にとりあって男爵にまでしてあげるのだが、チョット若すぎた。玉が小さい。保身への執着による嫉妬は、カテリーナの政務に支障をきたせる。周りの反感をかって4年後に謀殺された。

この謀殺は「お国のため」という面があった。加担者は、過去のたびかさなる危機にカテリーナをつねに支えてきた部下たち。謀殺後、加担者たちは広場に出て、集まった領民たちを前にしてこう叫んだ。

「カテリーナさまの承諾があったうえでのことだーーー。」すげえハッタリ。。為政者なら迷わず「イエス」だろ。

最愛の恋人を殺されたのはわかる。でも、すべては起きてしまったこと。おまえ、為政者だろ!いまさら部下たちを責め殺してなにになる?

しかし、カテリーナは逆上した。加担者とその一族郎党を容赦なく殺しまくった。恐怖恐怖恐怖。カテリーナは、この一件で、部下の信頼も領民の信頼も、両方とも失った。

ちまたでは、このジャコモがカテリーナの唯一最大の恋人、なんても言われている。どうでもいいやんか。もう死んじゃったんだから。


ハズ III

3番目のお相手は、フィレンツェから派遣されてきた大使ジョヴァンニ・デ・メディチ(イル・ポポラーノ:1467-98)。甘いルックスの、やはり年下。カテリーナ33才、ジョヴァンニ29才。またまた秘密結婚。

ええっ?ちょっと〜〜、ホストタイプ好みなんじゃない?ハハ

1498年にこどもが生まれた。この子がのちの「黒旗隊のジョヴァンニ(1498-1526)」で、フィレンツェ公国初代大公コジモ1世(1519-74)の父親にあたる。

こどもが生まれてからはじめて結婚の事実をあきらかにし、カテリーナはおおやけにフィレンツェ市の居住権を得た。しかし同年、夫のジョヴァンニ・デ・メディチは死んだ。


1499年暮れから1500年はじめにかけて、チェーザレ・ボルジア(1475-1507)率いる教皇庁とフランス軍がにフォルリ城を攻めた。

カテリーナは、援軍にのぞみをかけて、25日間籠城する。

しかし、政治的に孤立していた。それまでの人生のツケがついにまわってきた。

カテリーナは城を明け渡す。武人の意地はみとめても、いい女カテリーナの為政者として限界だった。

チェーザレは、カテリーナをじぶんのテントに何日間も引っぱり込んだとか・・・ヒロイン・カテリーナには、「さもありなん」のはなしがつきない。

けっきょく、カテリーナはカステル・サンタンジェロに幽閉された。勝気なカテリーナが泣いたというから、すごいとこだったらしい。

しかし、武人カテリーナに敬意を払う騎士は少なくなく、とあるフランス軍将校の口添えで、一年後、カテリーナはようやく解放される。

まだ30代だったが、つかれた。それからの10年間、フィレンツェのメディチ家ヴィッラで過ごした。

Caterina Sforza

晩年のカテリーナ・スフォルツァ。Giorgio Vasari作, Palazzo Vecchio, Firenze

1509年、カテリーナはこの世を去った。息子のジョヴァンニ(のちの「黒隊長」)はまだ11才。

息子がやがてメディチ家ロレンツォ・イル・マニフィコの孫娘マリア・サルヴィアーティと結婚する。やがて孫が生まれ、その孫がフィレンツェ公国初代大公コジモ1世となる。その系譜からフランス王妃が誕生する。

そんなことはなにも知らず、カテリーナは逝った。「ティヤン!」「ゴクロウサン!」

(2001.08.06.)(2002.08.08. 見直し)(2004.11.10. 見回り)(2004.11.20. 画像入れ替え・リンク入れ替え)(2016.04.19 見回り)

かんれんファイル

■ スフォルツァ家とはどこのなにもん?
■ カテリーナの父親はガレアッツォ・マリア
■ フォルリのかんたんマップ
■ チェーザレ・ボルジア
■ フィレンツェ・メディチ家の人々
■ 映画「メディチ家のジョヴァンニ」の背景

ART INVESTMENT RUSSIA SOVIET ITALY JAPAN