EKAKINOKI

釘打ち男 ギュンター・ユッカー

Gunther Uecker 1930-

なんだかよくわかんないけどおもしろい。ちょっとドキドキする。新鮮で、ヴィヴィッド(イキイキ)で・・・・・どーしてかなー、、?

「テロや戦争、現代社会の不条理を直視」「虐待し虐待される人間」「現代社会の痛みと癒し」、、、ユッカーはあらかたこんなふうに紹介されてる。ユッカー(東独出身)自身がそう言っているのカモ。

でも、展示室にさいしょにはいったときの印象は、「あれっ、、おもったよりしゃれてる。」・・・じっさい洗練されたデザインってかんじで、胸にグサッとささるナニカとか痛々しさとか、、そんなのはなかった。

あえてそういうコンテキスト(文脈)でかんがえるなら・・・

むしろ、ニンゲンのワルイところを作品のなかに封じ込めましたー、ってカンジがして、、よかったよかった、、とかおもうけど・・。それもユッカーの手によってというより、アニメのように、たとえばクギがみずからうごいて、そこに刺さってうごかなくなったみたいな、どことなくそんなカワユイところさえある。

ユッカーがクギを打つ音とか姿とか、、カマ、スキ、機織り(?)みたいな道具をとりあげているところとか、土やクギや布といった素材、奴隷が働いている姿が目に浮かぶような、どっちかというと古代的なものを想像しちゃった。だからキーファーやボイスやドイツ新表現主義にちかいものをかんじたり・・・第二次大戦後のドイツ人ってフクザツなのでよくわかんないけど、、、

ユッカーがこんなことを言ってる。「言葉で多くを考えないし、表現したくない。ただ熟視することに身をさらす。(ユッカーのビデオより引用)」

これは、、だからユッカーがしゃべらない、ということではない。ユッカーはビデオのなかでもよくおしゃべりをしているし、むしろ話し好きのようにさえおもえる。ただそういうときでもユッカーは、じぶんの作品を説明しようというのではない。「言葉だってひとつの表現方法だろ?それをつかうことにべつだん抵抗はないよ。」、、、と、そういうことなんじゃ?

こういうユッカーの姿勢は、また彼の制作態度にもでている。巨体をおおらかにゆすってふらりぶらりと散歩をしているユッカーは、「アーティストとして主張できるナニカ」と、それを「どのように主張するか(=技法)」の両方ともを、しじゅう身のまわりにまさぐっているようにみえる。

どのようなアーティストでも、、「テーマと技法」はたがいに密接な関係をもっている。しかしユッカーは、ふつうよりももっとはるかに「手放し状態で自由」、なようにかんじる。現実を見つめるユッカーの目にはくもりがなく、ナニカをおもいついたとき、それを表現するための方法をあらかじめきめているというのでもない。

ものすごいスピードでめくるめく現代社会において、こうしたユッカーのきわめてフレキシブル(柔軟)な姿勢が、新鮮でイキイキとした表情と説得力を、その作品にあたえているのじゃない?

(2004.08.20.)

※ ユッカー展: 伊丹市立美術館(兵庫県) 2004.05.22-07.04. /  栃木県立美術(2004.07.18-09.12)・・・・・そのうちTokyo、、?

栃木県立美術の「釘男ギュンター・ユッカー」展 (ファイル中の画像はこの展示会チラシ)
http://www.art.pref.tochigi.jp/jp/exhibiti..

※ イヴ・クッライン、フォンタナ、マンゾーニらともユッカーは親しかった。

かんれんサイト

ユッカーがよく言及するマレーヴィッチの弟子ウワジスワフス・スチェミンスキ(Wladyslaw Strzeminski 1893 - 1952)について(英語)
http://www.ddg.art.pl/strzeminski/

ユッカーが属していた50〜60年代のグループ「ゼロ」の展示会(イタリア・シエナ)(RAI)
http://www.italica.rai.it/galleria/segnaliam..

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