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クリスト&ジャンヌ・クロードの「The Gates」

"The Gates, Central Park, New York, 1979-2005" Christo and Jeanne-Claude (2005.02.12-02.27)

議事堂や川や橋がラッピングされるのをみたら(クリスト&ジャンヌ・クロードはなんでも包装しちゃうことでしられる)、コドモたちはなんとおもうだろう、、、?「ギャハハ、、」とか?んでもってアソブ?

議事堂もラッピングできちゃうってことは、な〜んだ、、デパートで売ってるおもちゃとたいしてかわりないじゃん、、なんておもうかもしれない。

もしかするとそれは将来そのこどもにとってなにか「イミ」をもつかもしれない。でもコドモにはそんなことどうでもいい。ひたすら、、ラッピングされた議事堂や橋のイメージが心に残る。

セントラル・パークに立ちならんだ7500のゲートとそこにひらめくサフラン色の布も、そういうことなんじゃない、、?

「作品のイミはなんだ」とくりかえし問われて、、クリスト&ジャンヌ・クロードはこんなふうに答えている。(以下、NY Times 「'The Gates' Unfurling to High Hopes By RANDY KENNEDY Published: February 12, 2005」より引用意訳。)

ジャンヌ・クロード・・・「意図なんてない。延べ37キロにおよぶ7500のゲートを歩きながら、それぞれになにかを感じ取ってください。この作品はなにかのシンボルではありませんし、メッセージでもない。アートなんです!」

クリスト・・・「晴れの日もあれば雨降りの日もあるでしょう、、雪が降るかもしれない。ともかく散歩してみてください。これは純粋な風景です。だから、説明はいらない。」

(引用おわり)

なんでもじぶんのリクツで割り切らないと気がすまないオトナ、、「オレにはわかんねえ」なんて心を閉ざしてしまったオトナ、、セントラル・パークに行こう〜〜!コドモのように感じよ〜〜

ん?、、「コドモのように感じる」は、「童心にかえる」とはちょっとチガウ。

たとえば、、、学校にあがったとたんにああだこうだ言われてノビノビと絵を描けなくなったコドモが、たぶんいい先生に導かれたりしてふたたび絵を描く「心の自由」を与えられるみたいな、、

ピカソも言ってたじゃん・・・「若いころはラファエロのように描いてた。コドモのように描けるのに△□年かかった、、」って。。アートは説明じゃないんだ感じることなんだって、ジャンヌ・クロードもきっぱり言ってる。

アートだから云々(うんぬん)な先入観はおもいきってポイ。そしてぶらぶら、ひたすらぶらぶら。。そうやってあとで思い出す風景こそが、クリスト&ジャンヌ・クロードのアートだよ〜〜

(2005.02.15.)

※ だれかNYのナマの画像ちょ〜だ〜い!

「The Gates」かんれんサイト

クリスト&ジャンヌ・クロードHP
http://www.christojeanneclaude.net/tg.html

NY Times の特集
http://www.nytimes.com/ref/arts/design/GATES-REF.html

クリストのドローイング(メトロポリタン美術館)
http://www.metmuseum.org/special/Christo/gates_images.htm

かんれんサイト

京都の伏見稲荷: いえ、ちょっと似てるかな、、と。
http://s-miki.cool.ne.jp/koto/
(mikiroom)

クリスト&ジャンヌ・クロードかんれんファイル

■ クリスト&ジャンヌ・クロード〜インタビュー(訳)
■ NYセントラル・パークの「The Gates」
■ クリスト&ジャンヌ・クロード作品例

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