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人類史上最高の風景画家クロード・ロラン

Claude Lorrain (Claude Gellee, Claudio Lorenese), 1600-1682 Champagne-Roma

1600年、ロランはフランス・シャンパーニュ地方ロレーヌで生れました。(ので、ロランです。)

1613年、ローマに来ました。ん?まだ13才だぜ?

(あばれん坊のカラヴァッジョは3年前に世を去っていますが、おなじ業界人の伝説はよく聞いていたとおもいます。)

風景画家アゴスティーノ・タッシに弟子入りしました。

タッシは、ほうぼうで悶着を引き起こしていたひとで、友人の画家(オラッツィオ・ジェンティレスキ)の娘レイプ事件で、美術スキャンダル史に残っています。

いっぽう、風景画家としては、評判がよかったのでしょう。美しい海や、嵐を描いたといいます。


ロラン作「エジプト逃避行」1646年, Nivaagaards Malerisamling, Denmark

1625-27年の2年間、ロランはフランスでフレスコ画に従事しました。そしてまた、ローマに戻ります。

この頃のローマでのロランについてはあまりよく知られていません。おそらく、装飾的なフレスコ画を描いていたとおもわれます。

プサンら外国人アーティストたちと交流があったのはわかっています。

ロランの風景画は、やがて法王や枢機卿たちに気に入られました。1635年ごろです。


ロランは一貫して風景画家でした。

というより、風景画というジャンルを築いた先駆者のひとりです。

風景によって呼び起こされるおもい、幻想、古代や神話・・

正統派の画家が描くことがなかった太陽を最初に描いたのも、ロランだといいます。


ロランは、絵を描くことしか頭になかった。

そのかわり酒を飲んであばれるとか、変人奇人でもありません。ひたすら心穏やかなひとだったようです。そのためか、彼にまつわる逸話というのもほとんどありません。

ひとつだけ!教科書にのりそうな話があります。

ロランは、ある貧しい子供を生活苦から救うために、制作の手伝いをさせていました。色をつくる、筆を洗う、制作の助手・・・

この少年は、25年間ロランのもとで働いたあと仕事をやめます。その際、「いままで、仕事に見合っただけのお金をもらっていない。まとめて退職金としてくれないと、裁判所に訴える。」

(げっ、マジかよ?この世に神はいるのか?でしょ?)

ロランはどうしたとおもいます?銀行に行くと、有り金を全部おろして彼に与えました!


ロランは、自分の作品について、詳細な記録を残しました。195の作品のコピーに加え、署名、日付け、作品の依頼者、所蔵先などが記されています。この記録「Liber Veritatis」は、現在ブリティッシュ・ミュージアムにあります。

ゲーテが、ジョン・コンスターブルが、最高の風景画家とロランを誉めたたえました。

John Constable, 1776-1837

ターナーは、ロランの作品に恋焦がれました。「ロランの作品の横に自分の作品が飾られたら・・うぅ〜〜ん、ぜひそうしたい!」

ターナーはじぶんの立場を利用し、ロンドンのナショナル・ギャラリーにロラン2作品を加えました!

(2002.09.05. 点検)

* 参考文献: 「IL sogno della pittura (Vittorio Sgarbi)」

* 2番目の画像は「ロラン自画像」。


かんれんファイル

■ ローマのフランス人ロランとプサン
■ 近代風景画展(横浜美術館)のロラン
■ アルテミジアとタッシのレイプ裁判
■ あばれん坊のカラヴァッジョ

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