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ミャオ族刺繍の学校を創りました

投稿: 雅瑞 北京 2001.05.05.

chinese folklore miao中国には55の少数民族がいる。そのなかでもミャオ(苗)族は日本人のルーツとも言われ、約750万人。その半数が中国で一番貧しいと言われる貴州省にいる。

なぜ日本人のルーツなのか?まず髷(マゲ)を結う。もち米。納豆。麹による酒造。漆塗り。繭から糸を引いて作る絹。縦糸で美しい幾何学模様を織り込んでいく手法は「博多織り」そのもの。

歴史を遡る。彼らは春秋戦国時代(BC770-BC403)に楚(〜BC223)の文化を築いた。そう、孔子がいた時代。孔子(BC552-BC479)は魯(〜BC249)という国にいた。諸国行脚しているときに孔子は楚の国にも行っている。

ミャオ族はおもに揚子江流域で暮らしていた。そこに秦の始皇帝が現われミャオ族は戦に敗れ南に追われた。始皇帝が天下統一したのはBC221年のことだ。ミャオ族はその後どんどんと奥へ追いやられ、中国西南部の山のなかに住みつくようになった。

ミャオ族の織物、刺繍、藍染には、彼らの文化と歴史が凝縮されている。僕らはそのなかでもことに「刺繍」に惹かれていく。

chinese folklore miaoミャオの女性は子供の頃から刺繍・織物に慣れ親しみます。布を織って服を作る。スカート、帯、前掛け、帽子、靴、ねんねこ(子供をおんぶする時に子供の背中にあて帯でぎゅっとしばる)。自分の花嫁衣装までつくってしまう!

美しい刺繍をほどこすのは綿生地が多い。石の上で棒でたたいて布をテカテカにしたものも使います。石のうえで叩く?そうすると光沢が出て美しくなるのです。色合いもはえる。丈夫で防水効果もある。このほかにも玉子の白身を布にすり込み固めたものもあります。効果は石でたたいたものと似てますが、色合いは石でたたいたものの方が美しい。刺繍糸は絹。刺繍の図柄は蝶、鳥、虫、龍、虎、かえで...、自然や人を抽象化したもの。なかでも蝶は彼らの崇拝の的です。

一針一針刺された刺繍は気が遠くなるほどに細かい。何年もなんねんもかけて作られたものもある。技術、色彩、図案、すべてがいっしょになってなんとも暖かいかんじがする。女性の愛情が造りだした芸術品。

若い女性が身にまとうのは色鮮やかな刺繍を施した服。年配になると渋い緑や紺の刺繍がほどこされた服。 若い時の鮮やかな刺繍を藍で染めて着たりもする。

chinese folklore miaoしかし時代はどんどん変わりつつある。今、若いミャオの女の子たちは機織や刺繍からだんだん離れ始めている。 かつては農作業の合間に時間さえあれば機織りや刺繍をしていた。 刺繍の上手な女性が一番もてた。 しかしそれも過去のこととなりつつある。今はわざわざ自分で作らなくてもTシャツやトレーナーを買えばいい。 それにその方がかっこいい。

僕らはこんな素敵な刺繍が過去のものになってほしくないとおもう。 彼らの刺繍は、少しずつだがアメリカやヨーロッパでも注目されはじめている。 若いミャオたちに素晴らしいミャオの伝統をまもってもらいたい。 ミャオの伝統をたいせつにおもうミャオがすこしでも 増えてほしい。

そんな想いから僕らは学校をつくった。

chinese folklore miao中国でも小中学校は義務教育。義務教育といっても授業料・教科書代などは払わなくてはならない。それができない。学校へ行けない子供たちは貴州省だけで何万人といる。北京語もしゃべれない、字も書けない子供たちに教育の場を提供し、刺繍・織物の習得からミャオの歌、ミャオの文化をも勉強できる学校が僕らの目標だ。

ミャオ刺繍を習得し、作った刺繍を僕らが売ることで、その収入を学校と彼らに還元する。彼らは刺繍や機織りを身に付けることで家庭を助け、自信と独立心を得てほしい。そして、僕らの大好きなミャオの刺繍を未来へと継承できる。それが可能なほど、いま 先進国では手工芸が見直されている。もちろん彼らにもそのことを実感してほしい。

学校がある場所は貴州省、刺繍の故郷 台江県。貴州省の省都は貴陽。そこの飛行場から車を乗り継いで約5時間。 ミャオの友人が藍染工場を経営していて、その近くに教室と宿舎を借りた。 たくさんの入学希望者がありました。最初の半年は12歳から18歳までの11人の子供たちでスタート。 2001年3月末には準備完了。

ところが生徒が来ない!「無料で学べる」ということを信じてもらえなかった。やっと全員が集まったのが4月30日。無事開校式にたどりつきました。午前中は4時限の授業で午後は自習。子供たちの学ぶ姿勢は真剣そのもの。午後の自習時間も自主的に刺繍に向かっています。

先生は近所のミャオ族のひとたち。刺繍、機織、藍染、製布、北京語等それぞれ得意な分野を受け持ってもらいます。 週に1時間は子供たちの希望で日本語の授業もあります。これは藍染工場の友人が自分で日本語を勉強しながら教えるのでどうなることやら..。

僕らの試みは始まったばかりです。この学校を存続させるために経営基盤の強化が必要であることはじゅうぶんに承知しています。少しでも多くの子供達がこの学校で学び、その子供達がミャオ刺繍のうつくしさを世界につたえていかれるように、やらなくてはならないことが山ほどあります。

ミャオ族の世界

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/7515/

BBSより

yoyoさん 2001.08.16.

今日、初めてこのサイトのこの記事を見つけることが出来ました。私は、アジアの手仕事が好きな普通の主婦ですが、今年2月、貴州省への旅をしてきたばかりのところです。訪れてきた場所で、こういう素晴らしい試みがスタートしていたことを知ってとても嬉しく思いました。もう少し具体的によそちらの様子を知ることは、出来るのでしょうか。

河本 淳一さん  2001.05.16

突然のお知らせで驚きました。そしてページを見てなんとも言えない「暖かい」気分を味わうことが出来ました。ありがとうございます。

母はパッチワークをしているので、一度母に本物を見せてあげたいです。以前「ミャオ族の刺繍」を拝見させていただいたときの興奮は今でもすぐに思い出します。一人の手によるデザインではなく、受けつがれていく過程で生まれる美の進化。まさに宇宙を眺めているようでした。

同じ様なことを日本で挑戦しています。それは家具造りを目標とした木工です。しかし、日本でやる場合公的な機関が補助しているのは高等技術専門学校ぐらいです。そこで学べるのも一年。本格化するためにはどうしても有る程度の工具をそろえる必要があり、個人として独立して作っていらっしゃる先輩がたの話を聞いた限り、やはり100万円弱ぐらいの先行投資が必要になります。

ではそれを投資するだけのゆとりがあったとして、今私が工房を構えるかと聞かれたら「いいえ」です。よほどの才能があり、よほどの努力を重ね、さらに販売のノウハウがある人でないと「日本の伝統工芸」または「欧米風の家具」を受け継いで妻子を養っていくことは限りなく困難に近いです。

でもミャオ族の勉強家たちはいま「楽しくて仕方ないのではないでしょうか?」自分たちが受け継ぎ、さらに伝えることになるであろう刺繍の技術は間違いなく世界に誇れる物であり、若くてもそのことが分かっていると思うからです。そして生まれたときから接している彼らより、その味わい、良さを肌で感じている人はいないわけですから、そのことが彼らの自信にもつながることでしょう。

ミャオ族の刺繍は千変万化。彼らでしかなしえないデザインとバランス。それが現代に生きる若者の手によって、今後どういう方向に進んでいくのかずっと見守っていきたいと思います。それにふさわしい額を作って、中国に送るという夢がひとつ増えました。また定期的に情報を教えてください。楽しみにしています。

森永憲治 2001.05.15.

今日は5月15日改めて読み直し、本当にすばらしいことをしていらっしゃると思い、感動しました。是非この活動に僕も参加させて下さい。

雅瑞さん 2002.05.28.

貴州へ行ってました。 物乞いをする苗族、ゴミをあさる苗族を初めて見ました。今までは殆どいなかったのに、その街にも開発の波が押し寄せ、取り残された苗族のお年寄り達です。貧しくて学校へ行けない子供達の刺繍学校に時代に取り残された生きる世界遺産である苗族のお年寄りを招いて一緒に生活してもらったらという、新しい夢ができました。

でも、「説得好 做得難 (言うはやすく行うはかたし)」ですね。

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