EKAKINOKI

リッチ/マッチラケの写真

あるとき知り合いのアーティストが、ステファニア・リッチというアーティストの写真作品にコメントを添えて送ってきた。まずそのコメントから紹介してみる。

Stefania Ricci

<リッチは、白色の効果を極限まで引き出している。まず撮影のためにモノを配置する。すると最前列に並んでいるモノがとりあえず見えていて、そのうしろにあるものは隠れて見えない。そこでリッチは背後に隠れているモノのイメージを引き出すために、最前列のモノのうえにそれを「描く」。シャッターを切るのはそれからだ。モノとモノとの境界が曖昧で透明な、絵画と写真が入りまじった作品ができあがる。>

ふむふむ、なんとなく雰囲気はつたわってくる。でもなにかいまひとつはっきりしない。具体的になにをどうやるってんだ?コメントのなかで「描く」という言葉がつかわれているけれど、これはたぶん隠れた部分のイメージをも引き出すために、撮影前リッチがモノを並べ替えたりするプロセスを暗喩的に「描く」と表現しているんだろう・・。「描く」ったって、まさかほんとに「描く」わけがない。

リッチについてファイルを書きながら、うっすらとここのところが気にかかった。そのことをとりたてて聞いたわけではないが、リッチがまずメールでこう答えてきた。

透明感のある作品の効果はたしかにコメントの通りで、シャッターを切る前の絵画的な処理によるものです。写真を撮るときにモノをならべるでしょう。あるものは最前列に、またそれ以外のものはうしろ側に。すると当然前にあるものは後ろにあるものを隠してしまいます。その隠れた部分のイメージを描いて、じっさいに見えるようにします。

うっ。コメントにあったのとおなじようなことを言ってる。しかもやはり「描く」という言葉をつかってるゾ。こりゃほんとに「描く」してるってこと?ちょっと不安。というよりどうやらこれはほんとにほんと?

Stefania Ricci

もういっぺんメール・・・「モノがえがかれたパネルを撮ってるの?いやパネルプラスその前にモノが並べてある?じゃ、モンタージュ?それとも・・ほんとにモノだけ??」

「描く」してるんだってば。筆とテンペラで・・。 

それからもう一度作品の画像をよ〜く見てみた。そっそうか。ほんとに被写体のうえにじかに「描く」してるんだ。全体のトーンがみごとに一致しているので気が付かなかったが、たとえば最前列のボトルには、そのうしろに隠れているティーポットの口先がえがかれていたりする。透明なビンの背後には透けて見えているものもあるだろうから、そこらへんはアーティストの感覚がきめていくんだろう。

リッチの作品を見たひとはモランディ(Giorgio Morandi:1891-1964)をおもいだすんじゃないだろうか。リッチに聞いてみた。「モランディについてどうおもう?」

一言ではとても言えないわ。まず、わたしたちイタリア人にとってモランディはとても偉大なアーティストなの。たしかにわたしの被写体が、モランディがテーマにしていたものと似ている部分はあるかもしれないわね。でもべつにマネをしようっていうわけではないし、そもそも考えに考えてこういう被写体を選んだのではなくて、ずーっとむかしからわたしの家にあったというだけなの・・。

モランディがいいのは、静物画を通して彼が宗教性を深くほりさげたところ。うん、そうおもう。でもモランディのさぐっていた道というのは、どちらかというと禅にちかいんじゃないのかな。

以前読んだ禅の本が、コンポジションなどをかんがえる際とてもたすけになっているという。禅にすくなからぬ興味をもっていて、なにかいい本はないかと言うから、鈴木大拙を紹介しておいた。知らなかったと。

Stefania Ricci のサイト
http://www.stefaniaricci.com/

ステファニア・リッチのファイル

□ マッチラケの写真
■ オバケだぞー
■ 自然がテーマのリッチの作品(2002.09)
■ 自然がテーマのリッチの作品(2002.09)
■ リッチのしゃれたクリスマス(2002.12)

かんれんファイル

■ ジョルジョ・モランディ

(2002.04.09.)(2002.09.06. 画像追加)

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