EKAKINOKI

イタリア人は衒学好き

イタリア人はイキで陽気で?

たしかにそうですが、ものごとにはかならず裏表があります。

なにが表でなにが裏かクドクド言うつもりはありませんが、イタリア人のおどろくほど陳腐な面をいくつか知っています。(笑)


その一: 退屈な19世紀的学校教育。

その二: ハクをつけたがる。重厚な履歴書大好き。

その三: 衒学的な文章大好き。難しい言い回し、19世紀的表現大好き。


イタリアは、歴史がある国です。

歴史あるところには、伝統があり、伝統あるところには進取の気風があります。

それはそれでいいのです。

しかしこの陳腐な面というのは、それだけではちょっと説明しきれません。

たぶん、これには、別な理由があるとおもうのです。

イタリアの別の歴史の産物ではないかと・・・

その一: 歴史上、多くの民族、列強に侵略されてきました。基本的に、イタリア人は被征服民族です。

その二: イタリアは、近代ヨーロッパにおいて、ながらく貧しい国でした。

つまり、これらからくるコンプレックスじゃない?


陳腐な面(三)は、まったくいただけない。たとえば、美術評論・・・

美術評論家たちは修辞技術や韻律の美しさを競い合う。ふつうのひとには分からないような文章が書けるようになってはじめて、美術評論界という「文学サークル」で認められる!

イタリア人の書いた美術評論のなかには、はっきりいってなにを言いたいのかよく分からないものがたくさんある。当のイタリア人にさえチンプンカンプン。美辞麗句を削って、ナニが言いたいのかを単刀直入に訳そうとすると、なにも残らない。

くしくもスタンダールが、いまから200年ぐらい前、こんなことを言っている。

いわゆるイタリア語(トスカーナ語)とそれ以外の地方の言語が並立しているために、話し言葉がそのまま書き言葉にならない。手紙を書くときでさえも辞書を脇に置く。恋人や恋敵に向かってしか文章に熱がこもらない。そもそもむずかしい観念を明晰に表現するということにイタリア人は関心をもたない。それよりもヴェルギリウス(BC70-BC19)やダンテ(1265-1321)の文体を追従することのほうを重んじる。このペダンティズム(衒学的:わざと難しい表現をする)こそが、世界でもっとも情熱的な民族が書く文章を凍てつかせている。イタリアの作家の注意は、こうして「文体を美しくつくろうこと」に向けられている。

さらにこうつづける。

明晰なドイツ人を見つけるのがむずかしいように、くだくだしくないイタリア人を見つけるのは困難だ。・・・イタリア人はフランス人と機知を競うことができても、印刷されたイタリア人の機知はフランスの場末でさえもやじられるにちがいない。

(「Rome, Naples et Florence, en 1817」より要約)

(2001.10.24)(2001.10.27. 美術評論典型例追加)(2002.04.15. 書き改め)

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