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丘の上の古都シエナ

シエナの街並みは、映画のセッティングのように完璧だ。ドゥオーモは小パリ然として、パンテオンか、みたいなかんじ。

たとえばフィレンツェも同様に古い町だが、車も入ってくれば、いまの時代がほうぼうで顔をのぞかせる。

シエナは現代の産業動脈からそれているため、アクセスも悪く、そもそも丘の上に造られた町なので、車も入れないし、古い時代がよりそのまま残っている。

イタリアにままあるそんな町のひとつなのだが、シエナはそのなかでも活気がある。

大学があるせいかもしれない。観光客も多い。パリオは、たんなる伝統行事ではなく、いまもシエナ人の血をわかせる。


この町で、イタリアルネサンス黎明期をおもいだしてみたい。

700年ぐらい前、この石畳を、ドゥッチョやマルティーニが歩き、また、ペストの猛威に、ひとびとがばたばたと倒れていった。

ロレンツェッティ兄弟が死んだ1348年は、強烈なペストがシエナを襲った年だった。

Duccio di Buoninsegna, 1260-1318 / Simone Martini, 1284-1344 / Pietro & Ambrogio Lrenzetti, 1280/90-1348


シエナは丘の上にあるため、水源を確保するために、町の下にもうひとつの町「水路の帝国」を作った。

水は高いところから低いところに流れる。なら高低差をつくればいい。微妙な高低差を無限に造りだし、水の流れをだましだまし丘の上まで導く。


ヨーロッパでは、大昔の因縁をいまだ忘れずひとびとが持ち続けているのはよくあることだ。

シエナもその例にもれない。シエナの宿敵は、ほかならぬフィレンツェだった。

1500年代、シエナはフィレンツエとの18ヶ月におよぶ攻防に破れ、フィレンツェのメディチ家に実権を奪われた。

「町のほうぼうにあった塔を、フィレンツェの野郎たちが崩しやがった。」今もシエナ人はこうぼやく。マジで。(笑)


ところで、シエナのドゥオーモ外壁に埋め込まれた石のひとつに、ラテン語が刻まれている。その文言のために、この石はけっして取り除かれることがない。

SATOR
AREPO
TENET
OPERA
ROTAS

右上のRから下に読んでも、左に読んでも、おなじ。左下のRからでもおなじ。

(2000.10.25)(2004.11.04. 見回り)

* 慣習にしたがって「シエナ」としましたが、イタリア語では「シエーナ」と発音されます。

* シエナへのアクセス: フィレンツェからは一時間おきぐらいに電車がでていて、所要時間は1時間半。イタリアによくあるチマチマした路線。ピザからもまわれる。いずれにしても乗り換えがあるので、バスのほうが便利かも。バスなら、アレッツォから、フィレンツェから、アクセスポイントはいろいろ。

かんれんファイル

■ パペッセ現代アート美術館をパリオ博物館にするという物議
■ シエナ派の画家についてふれているファイル
■ 目で見るシエナ派の画家たち
★ シエナのかんたんマップ

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