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ラヴェンナのサン・ヴィターレ教会モザイク

Basilica di San Vitale

ダンテ・アリギエリは、フィレンツェを追放されたあと、ここラヴェンナで「神曲」を書きあげ、モザイクにも感嘆したみたいだ。

ラヴェンナには、かつて西ローマ帝国の首都があった。ゴート族の王国もあった。

でも、、、、、、行ってみると、なんともちっちゃな町だった。

Google検索より

アドリア海に面しているといっても、入り江は堆積物で浅瀬になり、遠い昔から港としての機能はほとんど果たしていない。どこにでもある海に面したイタリアの地方都市、そんなかんじしかしなかった。

サン・ヴィターレ教会は、夏だったけど、お昼ちょっと前だったせいか、あんまりひともいなくて、だだっぴろい教会内がやけにひえびえとかんじられた。

教会のかたわらの草むらには中世の石棺が散在していて、おもわずタイムスリップ。

教会脇にのガッラ・プラチディア廟(Mausoleo di Galla Placidia:プラチディアはプラキディアのイタリア語読み)(※1)。

ところで、ラテン読みのききなれない名前がここではたくさんでてくるんだけど、ガッラ・プラチディアってだれ?


395年、テオドシウス1世が崩御し、ローマ帝国が東西に二分します。

東と西の皇帝に就いたのは亡き皇帝のふたりのこどもたち。西の皇帝が次子ホノリウス(※2)です。

ガッラ・プラチディアはホノリウスの妹でした〜〜〜。


このふたりにまつわるおもしろいはなしを、藤沢道郎著 『物語 イタリアの歴史』から引用。

ホノリウス→「養鶏という変な趣味に熱中するこの皇帝は・・・ローマ帝国がどうなろうと自分の身の安泰さえ確保されればそれで結構・・・宮廷をミラノからラヴェンナに移したのも、潟(ラグーナ)と風土病に守られたラヴェンナのほうがずっと安全だという、ただそれだけの理由にもとづいていた。」

ガッラ・プラチディア→「故人の意志により遺骸は防腐処置をほどこしてラヴェンナに運ばれ、あの石の柩の中に安置された。遺体は千年以上もの間誰の手にも触れず、帝位をまとった彼女の姿を柩の小さな穴から見ることができたという。1557年のある日、不注意な観覧者がもっとよく見ようと、蝋燭の火をその穴に近づけた。屍衣に火がつき、あっというまに遺体は灰燼に帰した。」


476年、ゲルマンの傭兵隊長オドアケルが西ローマ帝国を滅ぼしたので、帝国はけっきょく100年もたなかった。

ほんとは、このあとがおもしろい。

オドアケルのおやじはヨーロッパを席巻したフン族王アッティラの宰相だったとか、そののち東ゴート王テオドリックに対して3年間ラヴェンナにたてこもったとか、共同統治という条件で開城したもののけっきょく殺されちゃったとか・・・


あそこらのひとは、みんなこのひとたちの子孫なんですねぇ。

(2001.04.19. 「ビザンチン美術」より分割)

かんれんファイル

ギリシャ人マエストロに学んだチマブーエの時代
コンスタンティヌス帝とコンスタンティノポリス
ラヴェンナの位置情報(googleマップより)

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