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EUとハプスブルク帝国のかんけい

EU Habsburgヨーロッパはつい最近まで血にまみれた戦争を繰り返してきた。フランス人とイギリス人のあいだにいまもときとして飛び交う罵声は、百年戦争のころをほうふつさせるし、イタリア人がドイツ人に寄せる気持ちだってタンジュンなものではない。ヨーロッパが『EU』としてひとつになろうとしている過程に平行するように、民族主義のうごきも活発化してきた。

『EU』のようにヨーロッパがひとつになるというのは、アメリカ合衆国のようになるというのとはワケがちがう。たんなる経済ブロックだけですませるというのも、ありえないはなしだ。『EU内ならどこでも仕事をしていい』の裏返しは、自国にほかの国のニンゲンがガンガン入ってきてもいいということだ。

かりに日本がどこかほかのアジアの国とそういう機会を分け合うと考えただけで気が遠くなるようなはなしだから、ある意味でこれはすごい。たんなる理想とかのきれいごとではない。イギリスが『EU』にたいして比較的ウジウジしているのも、そうすると日本と似たような島国の純血主義のせい・・?

『EU』は始まったばかりで・・たぶんこれから、『どこにも存在しなかった、まったく新しいなにか』になっていくのだろう。それがどんなものなのかはまだだれにも分からない。ひとつだけ、『EU』を考えるときに具体的にヒントになるのが『ハプスブルク帝国』・・かもしれない。

ハプスブルク家の歴史は『神聖ローマ帝国』にはじまり、第一次世界大戦で崩壊するまで『オーストリア・ハンガリー帝国』として続いた。別名『ドナウ帝国』とも、『中欧』とも表現される。今のドイツ、オーストリア、北イタリア、チェコ、ハンガリーなどがその歴史にかかわってきた。

『ハプスブルク帝国』内の民族構成は多岐にわたる。パリやニューヨークを『民族のるつぼ』というのとはスケールがちがう。ほんとうにいくつもの民族、いくつもの国がいっしょになって帝国ができあがっていたのだから、それは『国』という単純な概念では割り切ることができない『連合国家』のようなもの、と言うことができるかもしれない。その頭にハプスブルグ家がのっかっていた。

ハンガリーの貴族がハンガリー語で話すのは普通だったが、「ボヘミア貴族」は、たとえチェコ系であっても公にチェコ語を話すことはなかった。禁じられていたというのではないが、チェコ語はサロンの言葉ではなく、厨房で話す言葉だったという。・・・・・それは差別の問題ではなく、お寿司はたいてい男が握るのと同じようなものであった。(『ミツコと七人の子供たち(シュミット村木眞寿美著/講談社/2001年)』より引用)

1918年に『ハプスブルク帝国』が崩壊すると、複雑な民族的・歴史的経緯をもつこの地域には、連合国側によって『ヴェルサイユ体制』がしかれた。しかしこの『ヴェルサイユ体制』の理想主義的な『民族の自主独立尊重』は、コトをより複雑にしたばかりでなく、ボヘミア地方のドイツ人(ズデーテン地方)問題など、さまざまな悲劇を生むことになる。

ウィルソンの国家観にはアメリカ人の欠陥があった。ドイツから東の国、オーストリア、ハンガリー、チェコ、スロヴァキア、ポーランド、セルビア、ルーマニア、ブルガリアなどの『国家』は、早くから国の形がはっきりとしていたイギリスやフランスとは違うものだという認識がなかった。ドイツ以東には、英仏と違う国と国家の関係があることを理解していなかった。(『ミツコと七人の子供たち(シュミット村木眞寿美著/講談社/2001年)』より引用)

大帝国が崩壊しても、ひとびとに埋め込まれた『ハプスブルク帝国』というDNAはそんなにすぐにはなくならない。そういうひとびとは、世界秩序のあるべき形として、どこかで『ハプスブルク帝国』というヒナ型を持ち続けていたし、げんにヒトラーの第三帝国が出現したときには、そこになにがしかの期待もかけた。

また、『EU』という考え方を最初に提唱・推進したのは、ほかならぬハプスブルク家の君臣クーデンホーフ=カレルギー家のリヒャルト(1894-1972)だった。リヒャルトは、第一次世界大戦後の新たなる世界秩序として『パン・ヨーロッパ(パンというのは広域にわたるという意味)』という考えを打ち出し、これがのちに『ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(1952年)』、『EEC(1959年)』、そして現在の『EU』へと発展していく。

もちろんリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーが意識的にそうした、というのではない。しかし、ハプスブルク家と深い関係をもつニンゲンであれば、なんらかの形で(よりよい形としてかもしれない・・)『ハプスブルク家の幻』が『パン・ヨーロッパ』思想にしのび込んでいたと考えても、それほどおかしくはないだろう。

(2002.09.28.)

Photo courtesy of Filvio Colangelo

つけたし

※ ハインリッヒ・クーデンホーフ=カレルギー伯爵(1859-1906)は、オーストリア・ハンガリー帝国外交官として東京に赴任(1892〜1896)。青山光子(1874-1941)と結婚し、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーは次男として東京で生まれた。

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