EKAKINOKI

ロバルツォの世界を探検するふしぎな話

Sandro Lobalzo

「日暮れどき (L'ultima luce del giorno - Ferdinando Albertazzi)」より訳

男はおもわずすべりそうになってちかくの枝を掴む。足場をたしかめ、息をついてふたたび斜面をのぼると林のなかに空き地があらわれた。「やっとついたぜ。」

森のなかでライオンとリスに出会った。小川を渡った。林のなかの迷宮のようにいりくんだ小道を歩いた。するとこのがけだ。ハアハアと息をついて、男はいじわるそうな笑いを浮かべながらつぶやいた・・・「ユングによれば、こんなに分かりにくい場所じゃないはずなんだがな。」

「空き地のむこうに見える小屋に行くまえに、<あたりいったい>をぐるりと見回してごらんなさい。」精神分析医が男に語りかけた。「その<あたりいったい>というのは、人間で言えば・・・年齢の見分けがつかないといったかんじなのです。妻といっしょにふたりの子供を駅まで送っていくような齢の男でもない。どちらかというと、好奇心に満ちたまなざしをあちこちに向けているこどもみたいだ。ちょっと風が吹いたくらいではビクともしない強靱な若者。交差点で、鉛のように重い旅行カバンをけんめいに持ち続けているドンくさいヤツとははっきりと違うタイプの、手荷物なしの若い旅行者。

この<あたりいったい>には、そんなさまざまな印象がまざりあって、漂っていた。年齢不詳という年齢。そしてそれぞれの印象が勝手に齢を重ねていく。そのときどきに応じて、そのうちのどれかが、<あたりいったい>の表情となる。それもまったくたまたま、といったかんじ。

男は小屋に入って行く。「どうなんですか?」精神分析医がきく。「どこもかしこもモノばかり。モノモノモノ・・・捨てるってことを知らなかったか、あるいはそうしたくなかったのか・・・新聞と雑誌とガラクタの山。まるで森のなかの小道がここまでつづいているみたい。」男はわけが分からぬとばかり首を軽く左右にふった。

「なにからなにまでこの家では、そのときの、そのままの状態のまんまみたいです。そのときどきに置かれたモノは、そのままの位置にとどまり、それ以後けっしてだれも手をふれていない。紙一枚だって家から持ち出せそうにない・・」男は肩をすくめた。精神分析医が誘導する・・・

「でも、いろいろと見てみたくなるでしょう?」「とんでもない!このガラクタの山に顔をつっこむ気なんてサラサラありません。ただながめているだけです。」男はそっぽをむいた。「他人の持ち物に触れるような気持ちになるのですか?」「神を冒涜するのとおなじことだ!」「ながめているだけで手を触れようとしない・・・きっと、その家が見るひとをそういう気持ちにさせるのでしょう。」精神分析医が納得したように言う。

「だけど見られているだけで、家はもうそのことを感じとっているはずです。見ているひとの気持ちが家に浸透していくのです。あぁ、だんだんと結末に近づいてきていますネ。ふつうだと、ここで大逆転があるんだが・・・」

精神分析医の話す声が子守唄のようにきこえていた。男は、めんどうくさそうに、かたわらのちいさなベッドのうえに身を投げ出してねむたそうに精神分析医を見つめていた。

このとき、一条のひかりが半開きのよろい戸から射し込んだ。ひかりは水筒についたほこりを銀色に照らし出し、ほこりまみれのシガー・ケースの留め金に反射し、部屋の隅のほうで、かさね置かれていた新聞のあいだに無造作にはさんであった一枚の写真を照らし出した。

男はそんなところに写真があったことなどまるで覚えていなかった。だが、それを見た瞬間ピピピッときた・・・黒い髪と金色のリボン、おもいがけずやってくるしあわせ・・・男は精神分析医のことなどもうすっかり忘れていた。

※ サンドロ・ロバルツォは、1946年、リグリア地方サヴォーナ生まれ。トリノ・アルベルティーナ芸術大学卒業。1965年より国内外で展示活動。

※ ユングは精神分析学者(1875-1961)

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