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やぶれたキャンバスの次にありうるアート

Giustino Caposciutti

いろいろな分野で、「作意」をもった表現方法にアーティストたちが我慢しきれなくなった時代がありました。音だけで意味がない詩をつくったり、ピアノの前にすわってなにも弾かないでコンサートをおえたりピアノをたたき壊したとか、そういう手合いの話しは山ほどあります。

美術の世界では、【空間主義】の創始者とされるルーチョ・フォンタナ(1899-1968/アルゼンチン生〜ミラノ没)がそのひとりです。フォンタナは、キャンバスを切り裂き「これが芸術だ!」と宣言しました。ただ穴が開いているだけです。もちろんそこにはなにも描かれていません。

作品からいっさいの「作意」を取り払うというその行為じたいは偉大でしたが、「作意」をほとんど喪失した作品はもはやニンゲンとの接点をもっていないことになり(音だけの詩とか)、「そのつぎにくるもの」がないのです。

つまり・・・作品から「作意」を払拭しようとするあらゆる芸術行為は、それですべて完結してしまった・・・と言えます。それよりも完璧な無作為の作品となると、作品をまったく作らないでアートと決別するかです。

このような思考経路をもったアーティストにとっては、歴史的ジレンマの誕生です。「無になればなんでもできる」ともおもうのですが。つまりピアノを叩き壊したあとでも風景画家になるとか。

カポシュッティはこのフォンタナという事実から出発しています。「フォンタナがキャンバスを切り裂いたあとにいったいなにができるか・・」

フォンタナの親族があるときふともらした言葉が印象に残っています。 「フォンタナを超えた作品というのは、ほんとうに見たことがなかったけれど・・これは(カポシュッティ作品)、ちょっとだけ先へいったみたいだ・・。」

カポシュッティには、いったん肩の力を抜いて「まだなにかできることがあるのじゃないか・・」という、新鮮でポジティヴな問いかけができる賢明さがあったのかもしれませんね。

(2003.01.22. 見直し)(2006.12.19. 見直し)

カポシュッティのファイル

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