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スーパーリアリズムって・・?

Francesco Capello

ベッペ・ビアズッティのインタビュー訳

「スーパーリアリズム」あるいは「リアリズム」の作家だと自認している?

チケットというのは、同族関係をつけて分かりやすくするためのものです。 すくなからず現実に忠実で、たえまない現実の分析をともなって描いたものが「スーパーリアリズム」なのだとすれば、 そう考えてもいいとおもいます。もしわたしの作品を、感情のうねり、雰囲気、ふしぎな孤独感という観点で見るならば、 わたしのは「情緒的なリアリズム」です。

「スーパーリアリズム」って、つまるところなに?

「スーパーリアリズム」の作家といってもいろいろなひとがいるわけで、一言では説明できません。 たとえばアメリカの「スーパーリアリズム」の作家は、現実社会の表情をつたえることに真剣です。かれらの作品のうちのすぐれたものは、 技法上とても写真にちかいといえます。

あなたの作品はたんにテクニックの「うまさ」から生み出されるの? それともなにかほかの秘密があるの?

大昔の作家たちが描いていたのとおなじように描いているのです。 ただ、近代的な「写真」という味方があります。わたしの技法はすべて手書きによるもので、 「写真」の画布への転写といったようなたぐいのいかなるプロセスも経ていません。

作品にはどのくらいあなたのファンタジーが入り込む? 「フォトリアリズム」とはどう違うの?

一般的に、「フォトリアリズム」というのは、あえて現代的なテクノロジーを使ってまでも、 写真を忠実に再現するものです。たとえばゲルシュのように。それにたいしてわたしの場合は、写真はあくまでも出発点にあります。 そしてそこからそれ以上、微に入り細に入り写真を再現するようなことはしません。むしろそれをわたし流に解釈することもいといません。

いったいどうして「スーパーリアリズム」をはじめたのですか?

インパクトの強い、明確で強烈で暴力的でさえある、あるいはときとしてロマンチックな、 そんな映像にむかしから惹かれていました。そういう趣向が「スーパーリアリズム」へ向かったのは、ちょうど絵を描きはじめたころ、 批評家たちに支持されていたような具象画にたいする、無意識のうちの抵抗だったのです。わたしにとってひとつの映像というのは、 ある考えの、瞬間的なイメージ化だと、むかしも今もおもっています。

あなたのようなスタイルでまずおもいつくのはアメリカの文化ですが..。

わたしの世代の人間というのは、おおかれ少なかれアメリカの影響を受けています。 とくに映画とか音楽。冒険。自由。因習から解き放たれたいろいろなあたらしいものがあった。いわゆるアメリカン・ドリーム..。 だからわたしのスタイルがアメリカの文化とむすびついているというのは、ふしぎでもなんでもない。ただ、あくまでもそこには、 わたしの根っこの部分、クラシックで、イタリア的なものがある。

あなたのアートには、 一般的な芸術思潮とはまた別な説明が必要だと思う?

芸術にたいする理解の仕方がひじょうに多岐あいまいになってきたのは、 今世紀にはいってからです。その結果、「作品そのもの」よりも「説明」のほうが大切になってしまった。わたしの作品が、 たいした説明もなく、観る人になんらかのかたちで理解してもらえるのはわるいことではない。

あなたの作品は、すぐにアメリカの「スーパーリアリズム」 と比較されるとおもわれますが。

テクニックに関するかぎり、 アメリカの「スーパーリアリズム」にたいするわたしの位置というのは、すでにはっきりしています。 アメリカにシャープ・フォーカス・リアリズムが誕生したころから、わたしは独自の画風を発展させてきました。 たとえば70年代のはじめ、わたしが描いていたのは「廃車置き場」です。ほかのアーティスト、 たとえばジョン・ソルトなどがおなじテーマをとりあげることになるのにもまったく気にかけませんでした。

そういった予期せぬ一致というのをどう説明する?

ある種の芸術上のひらめきというのは、 アートのうえで、望むのぞまずにかかわらず起こります。

ひとつ名前をあげます。「エドワード・ホッパー」なにを言う?

ホッパーは偉大な画家です。 彼の織りなす「日常生活のなかのポエム」は深く情感に訴えかけてきます。リアリズムをとおして人間心理を表現する手法。 しかもそのふたつが微妙にバランスを保っている。わたしは好きですね。基本的にアメリカの「スーパーリアリズム」の土台には、 このホッパーの世界があります。

「ホッパー流」「スーパーリアリズム」といった一連のながれ以外で、 あなたにとって大切な1900年代のアートの流れは?

たとえばカール・グロスバーグといった1920年代のドイツのリアリズム。 マドリッドのスペイン派リアリズム。ドンギ、カニャッチオ・ディ・サン・ピエートロといったイタリアのリアリズム作家。 多い少ないはありますが、これらすべての作家の手法がわたしの作品のなかにもあります。

感情的なものを避けたクールな主題をあつかおうとしている?

とんでもない。まったく逆に、たんなるテクニカルな完璧さではなくて、 みる人の感情的な部分に訴えかけることをねがっています。

異なった雰囲気を効果的につたえるために、 色の調子を使い分けている?

もちろん。大都会の夜を描くためにはドラマチックな色調をつかってネオンをきわだたせるし、 昼間の光景だったら、もっとあたたかくて、やわらかい色にする。

30年というあなたの作家歴のなかで、 具象画の世界もさまざまな転機を経てきているわけですが、いま現在どういう動きがわけても支配的だとおもいますか?

今日、これが主流のながれだというような限定できるようなものはありません。 おのおののアーティストの感受性、人間性によって、さまざまな手法が存在しています。なかでも、 具象画のあたらしい方向性に動機づけしているものに、マスメディア、映画があります。

あなたの作風は、かなりの程度確立されたもののようにおもわれますが、 スタイルや主題はさらに変わっていく?

あらたなアイデアをためしていくのにはどんよくです。 ただ、リアリスティックな映像というところではかわらないとおもいます。

※ カペッロは1944年トリーノ生まれ。トリーノ芸術大学卒業。1967年より展示活動。作品はイタリア、USで評価を受けている。風景、花をはじめとする静物ほか、 一貫して「うごくもの」が好き。車、汽車、自転車。アメリカでの制作期間の長いアーティスト。ところが、、、取材中にドイツのギャラリーから電話がはいった。電話口にでたフランチェスコ、「English, No!」。 ずっとアメリカにいてそれはないだろ・、フランチェスコ。

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■ 「写真みたい」と「写真」の違い

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