EKAKINOKI

『荊冠のキリスト』の不自然な描写

Caravaggio(Michelangelo Merisi) 1571-1610

死刑判決がくだされたイエスは、ピラト総督邸に留め置かれ、兵士にいたぶられる。

「紫の衣」のかわりに「兵士の赤いマント」、「金の冠」のかわりに「茨(イバラ)の冠」、「王笏(しゃく)」のかわりに「葦の棒」と、「ユダヤの王」もどきに仕立てあげられ、唾を吐きかけられ、叩かれ、茨の冠を締めつけられ・・・

Caravaggio Crowned with Thorns

蔵カラヴァッジョ作(推定)『荊冠のキリスト』, Kunsthistorisches Museum, Vienna

背後でふたりの男が、葦の棒(?)でイエスをこづいている。シチュエーション的には「イジメ」にきまってるけど、絵の描写になにか不自然なものがあって、正確にはなにをしているのか、よくわからない。

ふたりの男が力を込めている具合からすると、そもそも棒の長さはもっとあっていい。ところが棒はイエスの頭のうしろあたりで途切れている。だからって、イエスが倒れかかっているのを起こそうとしているわけでもない。キリストの頭の背後にコチコチのパルミジャン・チーズかなんかがあって、それを棒でこなごなにしてる?ハハ

実験してみたけど、棒の先端では「押す」ことはできても「廻す=絞めつける」という動作はできない。そもそもふたりの男の力は棒の先あたりにきいていて、冠のある場所とはちょっとチガウ〜。

冠そのものにしても、キリストの頭にゆるりとのっているかんじで、ちっとも絞めつけられているようには見えない。ましてや、ふたりの男があれだけ力を入れたら、そんな心もとない冠はすぐにもはずれてどっかに飛んでちゃう。


つぎは、TOMさんの意見・・・

ええ、私も最初は棒の先端を省略したのかと思いました。それほど怪しいポーズですね(笑)しかも茨の冠はちっとも食込んでませんし。こちらの方は当時の宗教画の狙いにそって、ミンチカさまのおっしゃる「イメージ」重視ではないかと私は思います。

ご存知のように決して写実主義の画家ではありませんし、絵によってはクライアントの意思を尊重したり(あまりリアルに拷問しないことなど)表現することもあろうと思います。顧客あっての画家稼業だったわけで。あとはあの破天荒で異端な性格どおりに反逆心やイタズラ心で表現をしたとも考えられます。

また、彼の絵の場合は贋作が真作と認可されているものも少なくありません。以前のカラヴァッジョ展の7枚の絵のうち3枚は偽者という研究者もいらっしゃいました。

ところで『荊冠』のもう一つの絵(銀行蔵)の方は男がキリストの頭部に棒を突き刺しているようなポーズでこちらも一見で「締め上げている」とはわかりずらいようです。力点は大丈夫。

おなじテーマについて描かれたほかの作品、たとえば、ティツィアーノの作品などをみても、イエスの頭にグルグル巻きにされた「茨の冠」を締めつけているのにはまちがいない。じゃ、カラヴァッジョはなんでこんなふうに描いたんだろう?


TOMさんの意見・・・

緋色の衣、茨の冠、手に持った葦…そのままに描いた受難場面。まさに茨を閉めつけている図ではないかと。カラヴァッジョ作とされるものでプラトの銀行に所蔵される『荊刑』も一人の男がこうしてキリストの冠を締め付けている図ですし、カラヴァッジョ以前には他にHieronymus Boschのこの図↓や、アルトドルファーの『茨の冠』1509〜16なども同様に描かれています。

http://www.abcgallery.com/B/bosch/bos..

また、「カラヴァッジョの力技によるつじつま合わせ説」には私も同意でして、『聖マタイと天使』のマタイの足下の椅子が舞台からずり落ちているのも、『ロレートの聖母』のイエスが不自然に浮遊しているのも、意外と短気な彼が描いているうちのズレを「ま、いいか」で手直ししなかったなどということもあり得ます。逆に言えば、それを誤魔化しきれる構図と鑑賞者に「それ」に意味を見出させる力量は類稀なる才能なのでしょうね。普通なら失敗(笑)

ところが、『聖母の死』のマリアの寝台の脚の省略など視覚効果を考慮している場合、力点から考えてあり得ない構図である『ホロフェルネスの首を斬るユディト』など、力学や重力に反した劇的演出効果を狙ったものもあります。『エマオの晩餐』のテーブルからずり落ちそうな果物籠や、『果物籠』の突出した不安定さの表現は彼の嫌ったある宗教的慣習に対する揶揄であるとされ、トロンプ・ルイユ(だまし絵)の手法だという説もあります。

彼のような早描きなら『エマオの晩餐』の右手を描き直すくらいはすぐのことですし、その男の不自然な腰布の照明といい、つじつま合わせという説と同時に確信的に狙ったものである説も考えられますが…。


もうひとつTOMさんの意見・・・

「修辞と虚飾に無関心」な画家とはそうですね〜。例えば、何しろ聖人をあれほどエロティックに下品すれすれに描いてしまう人。「そのまんまあんたの愛人の姿じゃん!」っていうような『洗礼者聖ヨハネ』やバッカスやアモル。あの表情は本当にリアルで、瞬間の猥褻寸前の美で留めたものですね。

この一瞬を捉えることができるのが彼であり、いかにうまい模写画家でも、こればかりは再現は無理では?デレク・ジャーマンの映画『カラヴァッジオ』の中でかなりうまい画家が彼の制作再現をしていておもしろかったですが、それでもやはり『勝ち誇るキューピッド』の表情は下品に陥っているのみでした。やっぱりね〜と思いました。


レオナルド・ダ・ヴィンチ作「受胎告知」の長い手じゃないけど、ある特別な角度から見ることを計算されて描かれた、ってことなんですかね〜?

たとえば、下から見上げたときに自然に見えるように描かれたとか、左斜めから見たときに自然に見えるように描かれたとか?つまり、もともと置かれていた場所にこの絵を置いて、もともとこの絵を見ていた場所に立って、そうすればなにもかもが自然に見えるってこと?

美術館がそういう演出したらおもしろいよね〜。

(2002.10.16)(2007.06.09. 再編集)

かんれんファイル

■ ウィーン美術史美術館展(2002.10.5.-12.23. 東京芸大美術館)
■ 映画「パッション」

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