EKAKINOKI

無法者の履歴

Caravaggio(Michelangelo Merisi) 1571-1610

Vittorio Sgarbi 評・訳

Caravaggio1603年 ローマ。カラヴァッジョは友人ロンギらとともに画家バリオーニに名誉毀損で告訴される。おそらくバリオーニの描いた作品にたいする嫉妬からだろうが、カラヴァッジョはバリオーニを小馬鹿にするような卑俗きわまる詩を書いたのだ。

裁判がまだはじまっていないうちに、カステル・サンタンジェロの軍曹に傷害を負わせ、カラヴァッジョは牢獄行きになった。牢から呼び出されての法廷証言が、カラヴァッジョが『芸術』について、『同時代の画家たちとの関係』について述べた唯一の生きた記録となった。証言からは、カラヴァッジョがいかに画家としての誇りをもっていたかが分かる。

9月25日、裁判の結果を待つことなくフランス大使の助力でカラヴァッジョは自宅謹慎となった。11月16日、カラヴァッジョの友人ロンギが、教会でミサ中にバリオーニを侮辱し、教会の外で剣を抜きおどした罪で逮捕された。カラヴァッジョはもちろん承知していたが、今後の仕事のことを考えるとすこしこのような状況から遠のく必要があった。

1604年 フランチェスコ派教会祭壇の仕事のためにマルケ地方に赴く。4月下旬の帰途途上、食堂の店員に剣を抜かんばかりのいきおいでアンティチョークがのった皿を投げ付け、左頬に傷を負わせる。また告訴される。このあいだに描いたのが『キリスト降架の図(ヌオヴァ教会)』。

作品に力がこもればこもるほど、日常生活での喧嘩、暴力、告訴の数も増えていった。10月19−20日、投獄。通りでのいさかいに石を投げ傷害事件。また別の逮捕が11月18日。港での検問に腹をたて警護官を傷害。

1605年 投獄と告訴。『ミケランジェロの女性像』をめぐって公証人といさかいになり、剣で頭に傷を負わせる。ジェノヴァに逃亡。8月26日、ローマに帰る。9月1日、投宿先の大家に告訴される。6ヶ月間払っていない家賃のかわりに荷物を差し押さえられ、腹いせに石を投げつけて窓を壊したというもの。

10月24日、またかの公証人が現われ、「誰がのどと左の耳を傷つけたのか?」と詰問される。「自分から剣のうえにころんでけがをしただけじゃないか。」と言い張りつづけたカラヴァッジョ。今度は逆に傷を負わされる。

ヤクザな仕業はどんどん深みにはまり込んでいく。それにともなって作品はさらに深みを増していく。また喧嘩。双方とも4人組。一方のかしらがカラヴァッジョ。カラヴァッジョはひとりを殺したうえ自身も負傷して逃亡した。しばらくコロンナ王子の庇護のもとパリアーノに身を隠す。これを最後に、カラヴァッジョがローマを見ることはもうなかった。

1607年 ナポリに入る。ローマでは、マントヴァの宮廷画家だったルーベンスによってカラヴァッジョの『聖処女の死』が一週間展示される。才能ばかりではなく、いまや神話的存在とさえなっていたカラヴァッジョの展示会を、ローマの多くの画家たちが手助けした。ナポリは、カラヴァッジョにとって第二のローマとなる。すぐに崇拝者を得、情熱的に制作に励む。

1608年 「くだんの殺人事件は偶発的なもので、カラヴァッジョ自身も負傷している。」とする赦免を待つあいだ、招待されてマルタ島に赴く。ここでの数週間に制作された作品のなかに、1600年代最高の作品とも目される『聖ヨハネの打ち首(上画像)』がある。しかしここでもまた事件にまきこまれる。投獄され、10月6日脱走。今度はシチリアのシラクサへ。ただの旅行者として古代ギリシャの遺跡などをおとずれる。なんのあてもない。まるで賭けの人生だ。メッシーナの教会に数々の傑作を描き残している。

1609年 夏にナポリに帰るやいなや、投宿先の宿の玄間先で、マルタでの敵(かたき)だった一党につかまり、こてんぱんにぶちのめされる。ナポリにはさらに10ヶ月いることになるが、そのあいだじゅう、カラヴァッジョは息もつかずに制作に没頭した。

1610年 ローマではカラヴァッジョにたいする恩赦の請願が各所からなされ、カラヴァッジョ自身、ふたたびローマに戻る日を待望するようになっていた。ついに旅立つことを決心。小帆船にのり、ローマに入るまで待機すべくポルト・エールコレ(現在のグロセット)の港に着く。

下船のときスペイン人の警官と目が合った。尋問され、有り金すべて巻きあげられたのちに釈放される。絶望と孤独感。カラヴァッジョはなすすべもなく砂浜のうえを力なく歩いた。乗って来た船はもうそこにはない。これが・・最後だった。カラヴァッジョは悪性の熱病におかされた。数日間苦しんだあげくに死んだ。じつに、あわれな死に方だった。これが7月18日。おなじ月の末日、カラヴァッジョは法王の恩赦を得られるはずだった。

(2000. 訳)(2002.09.05. 点検)

※ カラヴァッジョがのたれ死にした場所は「エールコレ(Ercole)」と発音します。「エルコーレ」じゃなかった〜。

※ ファイル中の画像: 『聖ヨハネの打ち首』1608年/画布/La Valletta (マルタ):唯一カラヴァッジョのサインがある作品が、『聖ヨハネの首からしたたり落ちる血』の署名なんてね、どこまでもテッテイしてます。

※ 原著: "Il Sogno della Pittura (Marsilio)"

かんれんファイル

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カラヴァッジョ作品(Web Gallery of Art)
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/c/ca..

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