EKAKINOKI

カラヴァッジョを評価したルーベンス

Caravaggio(Michelangelo Merisi) 1571-1610

Vittorio Sgarbi 評・訳

Caravaggio『聖処女の死』−マドンナの顏がふくれている。足がもろにでている・・などなど、『装飾性に欠ける』として納入先のサンタ・マリア・デッラ・スカーラ教会から「いらない。」と言われた。

貧しいおんなが溺れ死んだ。近所の人たちが川から引き上げてそのまわりを囲み嘆き悲しんでいる。絶望にくれる老人たちの頭は深くたれる。マドンナの死顏。力なく投げ出された手。

大きな赤いカーテンをとおしておもむろに光が差し込み、このシーンを浮き彫りにする。たいへんなこと。この世の荘厳と厳粛の瞬間。きわめつきの苦しみ。どうすることもできない絶望的な死。

サンタ・マリア・デッラ・スカーラ教会の神父たちは、ここのところを理解できなかった。この作品の価値をすぐに見抜いたのは、当時マントヴァの宮廷画家をしていたルーベンス(Pieter Paul Rubens 1577-1640)だった。マントヴァ公ゴンツァーガは、ルーベンスの助言にしたがってこの作品を購入している。

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カラヴァッジョはまた喧嘩を起こした。双方とも4人組。カラヴァッジョは一方の側のリーダーだった。相手方のひとりが死ぬと、カラヴァッジョは自分自身も負傷したまま逃亡した。しばらくコロンナ王子の庇護のもとパリアーノに身を隠す。

しかしこれ以後、カラヴァッジョがふたたびローマを目にすることはなかった。1607年、カラヴァッジョはナポリに入る。ローマでは、ルーベンスによってカラヴァッジョの『聖処女の死』が一週間展示された。才能ばかりではなく、いまや『神話的存在』とさえなっていたカラヴァッジョの展示会を、ローマの多くの画家たちが手助けした。

(2000. 訳)(2002.09.05. 点検)(2004.11.14. 見回り)

※ ファイル中の画像: カラヴァッジョ作『聖処女の死』 1606年 Louvre, Paris: ローマでかいた最後の作品。マントヴァ公が購入。のちイギリス王チャールズI世(1600-49)の手にわたり、その後フランスへ。

※ 原著: "Il Sogno della Pittura (Marsilio)"

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